サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

7年前、当時22歳の私が書いた、生き方についての日記が、いじらしい。

社会人1年生のときにmixiにあげた日記を、読んだ。

 

その頃の私より、今の私の方が、自由だと思った。

思った理由は、あとに書くことにして、
まず今日は、その日記だけ、こちらに再掲することにする。

 

あのころの私は、

ハッピー野郎で、ぼんやりとくすぶっている。

 

 

人生って面白いなぁ。

 

************

2010年9月6日
まとまりのない 生き方 のはなし。

 

つくづく自分はオメデタイヤツだとおもう。
の話。

たとえば
過去を振り返っても、

辛かったこととか後悔してることとか
それなりにたくさんある筈だけど

本気であまり思い出せないし


何かあったかなと思い巡らせて
見つけても、思い出すのは
私の涙を受け止めてくれた
周りの人のやさしさ。

結局
トータルで
幸せなことに溢れていたと
心から思える。

過去を美化する才能はピカイチなんだ。たぶん。

 


現状についても

仕事どう?
学生は休みが多くて羨ましい?
残業多くて大変そうだね?

etc etc 色んな人に言われるけど

しごと楽しいよ。
まいにち楽しいよ。

と、大抵答える。
本心。


あたしは職場の人々に認められるために
仕事をしているので
(その姿勢が正しいとは思わないけど)

些細なことを褒められただけで
過剰にほくほくするし
ちょっと期待をかけられただけで
絶対に応えようとおもうし

ちょっとしたことが
すぐ
ちょっとしたやりがいになれる
そういうところも、
オメデタイのだと思う。


あたしはしあわせだ。
過去も、いまも。
たぶん未来も。


*****************

ここから、

逆に言えば
の話。


あたしは、今を否定するのが苦手だ。

たとえば、大学に入りたての頃、
高校が、虹色の青春の1ページで、キラキラの思い出だったからといって、
大学がつまらないとは、たとえ比較上感じたとしても
絶対に言いたくなかった。

それは、今 を自分の力で楽しくできない自分が
格好悪いと思ってしまうから。
まわりの環境のせいになんかしたくなかった。

だから何事も辞めるのは苦手。
習い事も
部活も
バイトも
長いこと続く。

何かから
逃げた、とか
根性なし、とか
思われたくも
自分で思いたくも、ない。から。

このへん
プライド高くて
負けず嫌い。


でもこれって、

今の自分が、本当にすべきことをしてるのか?
今の環境が、本当にいるべき場所なのか?

こういうことを考えて
一歩踏み出す勇気、みたいの、
あたしには
無いってこと。

上辺の格好付けではなくて
本質を見抜く力、みたいの、
あたしには
無いってこと。


仕事1年目なんて、楽しくなくても当たり前だし、
もう辞めたい、とか
言ってる人やまほどいるけど、


自分がしたいことはこれではないと
いるべき場所はここではないと
きちんと向き合って
すっぱりと新しいことに賭ける

これは素晴らしい勇気。

 

あたしにとって特別なもの

芝居
きちんとやらなかったけど
ダンスも好きだし

ステージに立つことが心から好き。

何かをデザインすること
センスが問われること

創り出すこと

選び取って組み合わせること
ファッション
インテリア

カフェとか、一からプロデュースしてみたい


やりたいことなんて
腐るほどあって

でもあたしは
クリエイティブな生き方や
表現者になることは
しなかった。


今の生活になんの悩みも無いし
具体的に何かに迷ってるわけでも無い
これは本当で
つらつら書いてきたことの結論も出てる


ただ、何かに心を動かされて
不安定になるとぼんやりよぎる

いまを幸せと感じる才能
逆に言えば
いまを否定する勇気のなさ

あたしは臆病だったかな、と
リスクを負うのが全て格好良い訳ではないけど


今を肯定する力と
今を否定する力と

 

さて?

 

皆さんはどういう生き方をしてますか?

一度くらいは結婚に対して、夢を描きたいです。おんなのこだもん。

 きのうは、マルタ料理をたべた。

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マルタ料理は、とても美味しかった。

でも、マルタワインは、もう飲まない。

すごくいやな感じで、翌日に残る。(-_-)

 

さて、マルタワインをぐいぐいやりながら、

「結婚するなら、相手は初婚かバツイチどっちがいいか」

という話題になった。

 

サリーはいま29歳で、よく、

「おまえはどんな奴と結婚するのがいいんだろうな。」

という、愛のあるおせっかい話題を頂く。

 

今まで、よくおすすめされてきたのは、

「年上・バツイチ・子なし」だった。

 

・圧倒的に年上が向いている

・でも、年いってて、結婚したことない人は、難アリが多い

・子供がいるといろいろ大変

 

という、けっこう単純な理由である。

 

 

しかし、きのうのマルタでは違った。

圧倒的に、初婚男子を薦められた。

 

すすめてきた男性は、40代後半で、2回目の結婚生活を送っている。

再婚相手は、同じくバツイチ。

 

曰く、

 

初婚は夢を追う。

再婚は現実を追う。

ここがすり合っていた方がいい。

 

とのこと。

 

ぱーっと結婚式して、

ふわふわした気持ちの中で、みんなにお祝いされたり、

ネムーンに行ったり、

子作り計画たてたり。

 

初婚の時は、そういうことしたい。

 

 

一方で、再婚は、

一度結婚で失敗しているから、

とにかく、現実路線。

 

 

なるほどなー。

 

 

年上で、

初婚だけど難ナシのメンズ。

 

・・・・・

 

どこにいるの?(^O^)。

 

 

 

何が「清潔」か「不潔」かの区別ほど、根拠なく判断しているものはないかも。

まず、前段。

 

以前、こんな記事を書きましたが。

sally-no-kimochi.hateblo.jp

 

兎にも角にも、日々の生活の中には、

きちんとロジック建てて説明することのできない

「自分ルール」で溢れている。

上記ブログで紹介したfacebook記事の、「5センチルール」のように。

 

 

考えてみた。

このてのケンカって、とかく女性に非があると言われがちだと思う。

男性の方が、ロジック思考に優れていて、

女性の方が、感覚的・感情的、という見解のもとで。

 

専業主婦の場合、ビジネス現場に携わっていないから、

余計に、ロジックだてて説明をするという訓練がなされておらず、

「理由のつかない言い分で、男性を責め立てる」という構図が出来上がる。

 

ほんと?

ほんとに、男性は、日常生活のあらゆることを、
ビジネスのように説明することができるというのか?

 

結論としては、非常に怪しいとおもう。

 

 

本題。

 

疑問を抱いたサリーは、

日常生活における、「自分ルール」みたいなものを、列挙してみた。

すると、「清潔さにおける自分ルール」が、非常に多い気がしてきた。

なので、今日はそれに絞って振り返ってみたいとおもう。

 

たとえば。

 

私は、ベッドの上に、かばんを置くのは嫌だ。

汚い気がする。

でも、ジーパンで寝そべるのは、仕方ない気がしている。

もー、脱ぐ間もなく、バサッっていきたいとき、あるから。

 

おそらく、菌の量を量ったら、大して変わりないはずなのだが。

 

 

スーツケースのタイヤを拭かずに、室内に持ち込むのは嫌だ。

あいつは土足と同じだ。

でも、折りたたみ式物干しスタンドに洗濯物を干し、

ベランダに置いて日光にあててから、

室内にとりこみ、しばらくそのまま置いておくことはある。

 ↓こういうやつ

 その場合、足はわざわざ拭かない。

 

 

枕カバーは、週1ペースで洗う。

そのペースに、根拠はない。

 

 

 家で洗濯できる衣服は、もちろん定期的に洗うが、

クリーニングに出さなきゃ洗えない衣服は、

めったにクリーニング屋に行かないので、なかなか洗わない。

ファブリーズで済ませていて、よしとしているが、

家で洗濯できる衣服との、ペースの差は歴然である。

 

でもなんか、「そういうもん」ってことになってる。

 

 

家に帰ってきたら、手洗いうがいをするけれど、

営業から会社に帰ったとき、手洗いうがいなんてしない。

そしてそのまま、手づかみでお菓子を食べたりする。

 

 

こういうことって、男性もないの??(゜-゜)

 

あるけど、こと家のルールは、

奥さんのほうがベースになったりするから、

要求者が女性になることの方が、多いだけかな。 

 

改めて列挙してみて思ったけど、

「自分ルール」の、根拠のなさたるや。

 

 人間、すんごいテキトーだなー。

 自分は何事にもマトモだなんて、死んでも思わないようにしよっと。(╹◡╹)

 

親が死なないと、親が死ぬ不安からは逃れられないんだなぁ。

私には2人の姉がいる。

11歳差と、9歳差のふたり。

 

おのずと、両親は年寄りである。

(同世代の友達のご両親と比べたら。)

 

私は、父も母も大好きだ。

「友だちみたいな親」ではまったくなかったけど、
それでいいと思っていた。
小さいころは、神の様に正しい人たちだと思っていた。
どうしたって、敵わない、絶対的な人だった。

 

私は、幼いころから、両親が年であることを意識していた。

 

姉からしてみたら、彼女たちがいくらか大人になっても、
親が生きている可能性が強い。

でも、自分が大人になったとき、親が元気かはわからない。

 

だから、親の言うことは、注意深く聞き、覚えておかなければならないと思った。
いま、深く意味を理解できなくても、
ことばを覚えていれば
いつか親がいなくなったあとも、役に立つと思った。

 

姉のことを羨ましいとは思わなかった。

私は、姉が幼いころと比べれば、より親として成長した父と母の
教育を受けられているはずだから。

どっちもどっちだと思っていた。

 

子どものころから、そんなことを考えていた。

 

 

29歳になった今、両親は70歳を目前に迎えている。

子どものときと比べたら、当たり前だが、本当に年をとってきた。

 

よく、親孝行をしたいときに、親はもういないという。

だから、親が生きているうちに、きちんと親孝行しなさい、と。

 

この教訓を、よく耳にするのは、
親がいつまでも元気だと思っている人が、多い証拠だ。

 

でも、私は日々、親の死を意識している。

心の準備を、むかしから、ずっと始めている。

 

よく、親が死ぬ夢を見る。

大泣きして、目が覚める。

 

 

あんまり年寄り扱いしすぎたり、

いつ死ぬかわからないって思い過ぎたら、

ほんとうに、死を招き寄せてしまう気がして、

よくないことのような気もしている。

 

 

できるだけ、元気で長生きしてほしいって、こころからこころからそう思う。

でも、彼らが生きている限り、
私は彼らの死をずっとずっと隣に意識し続けるんだ、きっと。

両親が死んで、はじめてこの不安からは、解放されるんだ。

 

生きると死ぬって、隣り合せだ。

変なの。

つまんなかったデートをまとめてみました。

突然ですが、過去にデートをしてつまんなかった男たちのパターンを

まとめてみる気になったので、始めます。


 

1. 初デートなのに、「俺と結婚したら」、の話をしまくる男。

 

俺とオマエが結婚したら。。。

を、連呼。

 

日曜昼間から、東京駅近くのフレンチで、
シャンパンとフルコースデートにて。

 

某有名焼鳥店の、跡取りだった彼。
もし結婚したら、私もその店に毎日出、
毎日、夜明け前の早朝から仕込みを手伝い、
休日もなく、ただひたすらに店をまわす人生になるのだが、


子どもは必ず産んで欲しい、とか、

少ない休日の過ごし方とか。

 

 

普段は、どうにか会話を盛り上げようと、気を遣うサリー。

でもでもでも、
どぉーーーーーーーーーーーしても、このぶっ飛ばしすぎな会話に我慢ならず、
途中から、ほぼノーリアクションで、コースが終わるのをひたすらに待ち。

 

美味しいはずの食事も、まったく美味しく感じず。


このつまらないデートで摂取したカロリーを、
自らの脂肪にしてなるものか、と思い、
自宅まで3時間かけて、徒歩で帰宅。笑。

 

メシに釣られて、デートに行ってはならぬ。

どんなご馳走も、楽しい気持ちで食べないと、美味しくない。

だいすきなメンバーで食べれば、センベロだって大満足なのだ。

 

ものっそい筆圧で、こころに刻んだ、教訓。

 

好きになりかけてたら、嬉しい話題だったのかもしれないけど。。。

順序って、大事だね。

 

 

 

2.  キャッチャーでしかない男。

 

仕事の話も、恋愛の話も、どんな話題も。

私が話す話を、すごく興味深そうに聞いてくれるのだけど、

「なるほどね!」「へぇーすごいね」「そうなんだ!」

と、ファーストリアクションしたあと、特に、発展しない。

 

私の話がつまらないのか?というと、そうでもない反応。

「それまじはじめて聞いたわ・・・」

「まじかー、なるほどね!確かに、そりゃそうだもんね・・・はじめて気づいたわ」

なんなら、楽しそう。

 

だが、その後。

私がした、Aという話題に対して、
近しいBの話題をふってくれたりとか、
Aの話題から、何か質問を返してくれたりとか、しない。

 

キャッチボールであるはずの会話が、

私ばかりが投げ続け、彼は楽しそうにボールを受け取り続けるだけ。

 

なんかね、帰り道、疲弊感と、虚無感。

そんなに、強肩じゃないだす。

 

 

3.  「www」男。

某有名総合商社に勤めるイケメン。

 

男「何する?何頼む?これとかどう?」

サリー「うん、いいよー」

男「『うん、いいよー』何その言い方w いつもそういう声出すの?w」

サリー「ん、うん?(._.)」

 

男「どんな仕事してるの?」

サリー「人事系の、こうこういう仕事の営業してるよ」

男「ふぅーーーん・・・w」

サリー「ぇ、なに(._.)」

男「いや、なんでもw」

サリー「(._.)」

 

男「今までどんな人と付き合ってきたの?」

サリー「○○な人とか、○○って感じの人。でもこうこううまくいかなくなっちゃった」

男「それさうまくいかなかったのまじ自分のせいじゃねw」

サリー「そ、そうかな(初対面のオマエに言われる筋合いない)」

男「いやまじで見る目もないねw」

サリー「(`・ω・´)」

 

(ごはんもの出てきて)

サリー「はい、スプーン」

男「『はい、スプーン』w 気が利くねw」

サリー「はいはい(`・ω・´)イラ」

 

あんなに小馬鹿にしてきてさ。

向こうも気が合わなかったんだろう。お互い様だ。めでたし。

と思ったら、そのあともすごい誘ってきた謎のやつ。

なんなの?小学生なの?????

 

 

。。。。。。

 

1,ひとりで先に突っ走らない。

2,キャッチボールをする。

3,小馬鹿にしない。

 

ようはさ、置いてけぼりにしちゃいかんという話。

一緒にさ、ペースを作って歩かなきゃさ、つまんないよ。

 

デートの際の三原則にしよう。

あーめん。

優等生っていう劣等感。

サリーは、小中学校までは、成績がよかった。

作文は、いつも区で入選していたし、

理科の実験をまとめたレポートも、

書き初め大会も、いつも賞をもらっていた。

合唱コンクールでは、伴奏者としてクラスの練習を仕切り、

学級委員として、先生からも好かれていた。

 

 

そんなわたしは、いつも劣等感を抱えていた。

 

同級生から、人気を得るために必要なことは、そういうことではなかった。

 

 

 

小学校の高学年の頃、いちばん仲の良い女の子がいた。

けいちゃんといった。

 

けいちゃんは、いつも変顔をしてみんなを笑わせ、

友達思いで、豪快で、成績は悪く、運動神経がよくて、

クラスで一番の人気者だった。

 

対して私は、ザ・A型と言わんばかりに神経質で細かく、
勉強はできても足が遅くて、
変顔なんて恥ずかしくてできなくて、
自分のことを、つまらない人間だと思っていた。

 

けいちゃんには、友達がいっぱいいた。

私は、けいちゃんと家も近く、いつも一緒に遊んでいたけれど、
「一番の仲良し」のポジションでいられているかは、いつも不安だった。

けいちゃんは、さっぱりとしていて、誰にも執着がなさそうだった。

 

社会科見学等の、バスの席決めの時は、
けいちゃんがとられてしまいやしないかと、いつも不安でいっぱいだった。

私は、けいちゃんの隣を死守するべく、通学路が一緒である利を活かし、
決して必死さを見せないような声色で、早々と約束を取り付けた。

けいちゃんは、誰でもよさそうだった。だから、すぐにOKをもらえた。

 

その後、何人もの女の子が、「けいちゃん隣の席になろう」と誘っているのを見かけては、
胸をなでおろし、少しの優越感を感じた。

 

その後、学年が変わるにつれて、
けいちゃんの周りには、けいちゃんと似たタイプの子たちが増えてきた。
変顔が好きで、豪快で、成績が悪い子たち。
私はそのコミュニティに居ながら、いつも劣等感を感じていた。
むりやり変顔して、自分も同じ種類でいるよう装った。

 

私はそうして、中学まで、
いつも誰かを羨み、自分に自信が持てずに、
縮こまって、心地わるく過ごしていた。

高校生になってからは、けいちゃんも含めて、まったく会わなくなってしまった。

 

 

月日は過ぎ、中学を卒業してから13年後。

 

久しぶりに、同窓会が行われた。

小中一緒だった地元の子達が、30人ほど集まった。

 

お酒も進んだころ、何人かの女の子と話した。
当時、羨ましかった、
ちょっと成績が悪くて、みんなに好かれていた女の子たち。

 

すると、口々に言われた。

 

「さっちゃんは、なんでもできて羨ましかった」

「さっちゃんには、何をしても敵わなかった」

 

 

 

当時、

勉強ができることなんて、なんならダサいことだと思っていた。

友達に好かれるには、すこし成績が悪いくらいのほうが、

とっつきやすくて、いいんだと思っていた。

 

でも、29歳になって、私が当時劣等感を感じていた子たちから、そう言われたときに、

ああ、あながちお世辞じゃなくて、
ほんとうに思っていたことを、言ってくれているかもしれないと思った。

 

あの、小さい小さい、学校という世界で。

あのころの私たちにとっては、あれがすべて、そんな世界で。

大人たちが求めるのは、勉強すること。

賞をもらったり、注目を浴びるのは、成績がいい子ども。

 

いくら、斜に構えていても、

みんなにとって、そういう存在は、羨ましかったのかもしれない。

アテンションを得るということを、求めていたのかもしれない。

それぞれに、劣等感を、持っていたのかもしれない。

 

 

私は、みんなが羨ましかった。

 

学校って、そういうところなのかもしれないな。

誰かから、認められることに必死で。

褒められたくて。

どう思われているかに怯えて。

自分に対しての、理想も強くて。

 

 

ふむ。

いつか子どもが生まれたら、活かそう。この教訓を。

ブレない自分を持っていないと、予定詰め込み型人間にはなれないんだってさ。

サリーは、だれかと会っていないと不安である。

予定のない日、というのが、恐怖だ。

 

sally-no-kimochi.hateblo.jp

 そう、こんな感じで。

 

 

先日、大好きな行きつけのバーに行ったときのこと。

 

マスターとの会話の中で、ふとこの話になった。

 

マスター「あぁ、うさぎちゃん系?寂しいんだ」

サリー「うーん、やっぱそうなっちゃうのかなぁ。」

マスター「まーでもあれだね。自分をもってるからだね。」

サリー「??????」

マスター「自分をもってないと、それだけたくさん人と会ってたら
     振り回されちゃって疲れちゃうよ。
     惑わされすぎず、適度に影響を受けられる、そのバランスがいるよね。」

サリー「!!!!! それは新しい見解や!」

 

 

 

自分の、この癖(ひとりで居られない)については、

理由を考えてみても、ネガティブな解釈しか浮かんだことがなかった。

 

なるほど、ポジに考えると、そうも捉えられるのか。

 

 

 

でも、マスターが言ってくれた、「バランス」ってキーワード。

これは、すごく大切な観点で、

自らが、この絶妙なポジショニングを実践できているかは、非常に怪しい。

 

 

「自分を持つ」ということと、「相手を尊重する」ということ。

「人の意見に左右されない」ということと、「人の意見を聞き容れる」ということ。

「ぶれない軸を持つ」ということと、「新陳代謝がいい」ということ。

 

 

「頑固」でありたくはないし、

「無責任」でもありたくない。

 

 

私は、前者に寄った人間だ。

だから、自らに対し、

謙虚であれ。人の話を最後まで聞け。新しいことに足を踏み出せ。

と、言い聞かせている。

 

 

まぁ、せっかく、毎日たくさんの人と接しているのだから、

日々、バランスを極める訓練である。

 

 

 

自分で立てるスポンジになりたいなぁ。みつを。