サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

平成生まれのトリセツ

もはや使わないよね「平成生まれ」ってことば。

社会人になって、7年目を終えようとしている。

ミソジというひとつの大台も間近に控え、

よもや自分は「若手」という扱いではなくなってきた。

 

私は昭和62年生まれで、ギリギリ昭和世代。

一方で、ゆとり第1号でもある。

第1号に共通するメンタリティは、なぜか

「自分たちは正式なゆとりではない」と言いたがるところ。

実際に、第1号に執行された施策は、試験的な生ぬるいものが多かったので

事実といえば事実だが、

事実がどうというよりも、

先輩たちと比較され、ゆるい、やわい、とバカにされたくなかったのだ。

 

というわけで、自らと下の世代とのあいだに線を引き、

川の向こうの若者たちを、ほんちゃんのゆとり世代という意味も含め

「平成生まれ」と揶揄してきた。

 

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社会人7年目ともなると、当然ながら

関わりを持つ年下の層に厚みが増していき、

現在同じ職場には、平成9年生まれの子もいる。

学生時代に平成生まれと呼んでいた、同じ塾や部活にいた後輩は

せいぜい平成元年とか2年だったから、

平成9年なんて、平成であることが特別でもなんでもない、

意識するまでもなくどっぷりと平成な、新人類である。

 

 

 

新人類と、どう向き合うか? 

私ですら、その新人類の皆々様へ

「平成生まれと呼ぶまでもない平成生まれ…!(-_-)」と感じているのだから、

私の諸先輩方は、彼らの扱いに、より迷いを感じているようである。

 

今時の若い子に厳しくすると、心が折れてしまうのでは?と思うらしく、

距離をはかりながら、なかなか踏み込まない。

また、自分の価値観で何かを求めても、今の子には伝わらないのでは?とも懸念するようだ。

 

結果として、至極甘い。

 

 

新人に媚びる人事も増えている気がする。

他社に逃げられないように、甘やかす。

どう接すればいいのか考えあぐねている感じ。

「あなたの味方です」といい顔をして、

彼らのワガママ(私達から見て、だ)を叶えたりする。

 

 

かつての教育方針

かつて、新人時代に必要とされてきたものは

「抑圧」または「失敗」じゃないだろうか。

 

抑圧は、

メインの仕事をさせてもらえない、理不尽なめにあう(本人の感覚として)、など。

失敗は、

チャレンジした結果、力不足で成功しない経験。

 

 

新人への抑圧

雑務ばかりやらされて、なんてつまらないんだと思う傍ら、

仕事というのは下流の、地味で面倒な、でも必ず必要となる雑務に

支えられて仕上がっているのだという視点を得る。

 

飲み会の時には、ひたすらにお酒を注いでまわらされる。

「次の店行くぞ!」という雰囲気になる直前から、界隈のお店に駆け込み

「15名入れますか」という交渉の行脚を開始する。

 

こんなことするために、この会社に入ったのか・・・

と、思うこともあるだろう。

でも、そんなもんだったのだ。

 

 

ほんのひとさじ、似た話。

「若いころの抑圧」、について、

高橋一生が、A-studioで、弟に家計簿をつけさせているエピソードを語っていた。

www.sponichi.co.jp

年の離れた弟たちには家計簿を付けさせており「若い頃っていうのは、ある抑圧をかけないといけない。ちゃんと規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。規律みたいなものをしっかり持っていてもらいたい」と、しっかり者の兄としての顔をのぞかせた。

 

若い時に一定の抑圧を受け、大人になってから自由を得たほうが、

その自由は大きく、美しいと言っていた。

 

高橋一生、めちゃ昭和。好き。好き。

と思った瞬間。(*´ω`*)

 

 

新人の失敗

ともかくやってみろという文化もある。

みずからの頭で考え、実行し、失敗し、失敗から学び、というサイクルを踏みしめるのが

最も早く成長できるという思想がそこにはある。

どちらかというと、こちらの方が今風だ。

 

年を重ねてからの失敗は、

許されるのも、立ち直るのも、難しい。

だから、なるべく若いうちに失敗しておいたほうが良いという。

 

 

抑圧と失敗。

両者のハイブリッド版の方針もあると思う。

でも大別するならばこの2つが代表格だ。

 

 

 

私のまわりの若い子は、どちらでもない扱いをされている。

つまらない庶務ばかりさせられているわけでもない。

一次会で帰っても許される。

思い切った失敗はさせてもらえない。

 

そこに、教育者の思いはない。

遠巻きに、恐る恐る指先で触られているだけだ。

 

 

 

結局、先輩たちは自分の過去を肯定しがち。

「あの子は若いんだから、もっと苦労するべきだ 」とか、

「甘やかされすぎだ。あいつは下っ端としての気が利かない」とか、

色々、みんな思っている。

 

結局、自分の通ってきた路を肯定したいのだ。

自分が抑圧を受けてきたなら、それは必要なことだったと思いたいし、

自分が失敗を重ねてきたなら、それが自らの血と肉になっていると思いたい。

私もそうだ。

 

でも、「自分の感覚は時代錯誤かもしれない」との不安がよぎった結果、

若い子たちに対してのアプローチを止めてしまってはいけない。

私は、止めるくらいならば、自分の人生の正攻法で説教したほうがましだと思う。

人間なんてこの千年のあいだでもきっと180度も変わらないのだから、

その説教に示唆はかならず含まれるはずだ。

まず今日の結論そのいちがコレ。

 

でも、時代を象徴する教育の特徴は見極めたほうがいい。

結論そのにがココ。

たとえば、抑圧について。

高度経済成長期の、「より多く作れば、作った分売れる」時代に必要だった、

ルールを守り、言うことをちゃんときき、同じものをたくさん作れる人員は

いまやロボットに取って代わられる時代。

能動性を奪う抑圧の仕方は、逆効果だ。

そういったものは、現代で適用すべきでないだろう。

 

または、お酒の席について。

ここは賛否が分かれるかもしれないけれど、

まずサリーは、 まわりのために働いて

損はひとつもないと思っているので、

気がつく人になれるなら、なっておくべきだと思う。

お酒ついだりとか、お店探したりだとか、

みんなが気持よく過ごすための働きについては、

古風だとかいうジャンルではないと思う。

 

一方で、無理に飲んだり、いやなイッキに応じる必要はないし、

下世話な話題に付き合い切る必要はない。

こういう文化は、ものすごく前時代的だと思う。

 

 

 

***

 

若いやつのことは、よくわからん!

と、ハレモノ扱いして、

自分たちがまっとうだ、と遠くの方でのけぞるような

大人にはなりたくないな。

 

色々書いたけど、同じにんげんなんだから、

言うほど変わんないと思うんだけどな。

ちょっとした違いは違いで、楽しんだらいいし。

どっちがエライとかいうこともないし。 

さ。