「人間関係」と「掃除」は似ているなぁって思った。
「人間関係」と「掃除」は似ているなぁって思った
今日の結論はコレだけ。
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最近、職場の大きい定例MTGで、
ちょっとしたケンカ?が起きた。
1部門の人が、他部門のやりかたにちょっとイチャモンつけたら、
相手も応戦して、他の部門も応戦して、ってなって、
一瞬、いやな熱さで部屋が蒸しかえった。
その場にいたエライ人たちが、
「現場はうまく回っていないのか?
1年前はあんなにうまく回っているように見えたのに・・・
今、何が起きているんだ?」って、
気持ちがざわついているのが傍から見てもよくわかった。
そのMTGのあとは、四方八方で
みんながこの話題を口にして、
それぞれの意見を言った。
「あれは○○さんの言い方が悪かったよね」
「実際▲▲さんも可哀想なんだよ」
「ほんとは▲▲さんじゃなくて××さんが気にしすぎなんだよね」
私はけっこう呑気にその景色を見ていた。
単に、コミュニケーション不足なだけだ。
エライ人たちが、大げさにざわついたおかげで
おそらく改めて話し合いの機会が設けられるから、
それで、あらかた解決されるだろうと思った。
「1年前はあんなにうまく回っているように見えたのに・・・」
エライ人の反応。
私は思った。
あぁ、人間関係は掃除に似ている。
どんなに気合を入れて、家の隅から隅まで大掃除をしても、
その時はすごい自己満足に浸れるけれど、
一週間もたてば、少しずつ汚れは溜まっていく。
私はすこし絶望する。
これは、終わりなき戦いなのだ、と 突きつけられて。
たまの大掃除も必要だけれど、
日々、こまめにこまめに、ちょっとずつ掃除しなければならないのだ。
生活していれば汚れが溜まることは不可避。
たまる・やっつける・たまる・やっつける
そんな日々は、いつまでも終わらない。
人間関係も同じだ。
日々刻々と、汚れは溜まっていくのだ。
こまめにこまめに、メンテナンスをしなければならない。
今回、「改めて設けられる話し合いの機会」は、大掃除のようなものだ。
日々のメンテをみんなが少し怠ったから、大掃除が必要になった。
でも、大掃除が済んで、みんなが晴れ晴れとした気持ちになるのも束の間、
また、残酷にも汚れは着々と溜まっていくのだ。
人間関係も、残酷な終わりなき戦いだ。
めんどくさいけど、しょーがない。
眉毛を下げ、薄くした目で、
そう思った、このあいだのMTG。