サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

親が死なないと、親が死ぬ不安からは逃れられないんだなぁ。

私には2人の姉がいる。

11歳差と、9歳差のふたり。

 

おのずと、両親は年寄りである。

(同世代の友達のご両親と比べたら。)

 

私は、父も母も大好きだ。

「友だちみたいな親」ではまったくなかったけど、
それでいいと思っていた。
小さいころは、神の様に正しい人たちだと思っていた。
どうしたって、敵わない、絶対的な人だった。

 

私は、幼いころから、両親が年であることを意識していた。

 

姉からしてみたら、彼女たちがいくらか大人になっても、
親が生きている可能性が強い。

でも、自分が大人になったとき、親が元気かはわからない。

 

だから、親の言うことは、注意深く聞き、覚えておかなければならないと思った。
いま、深く意味を理解できなくても、
ことばを覚えていれば
いつか親がいなくなったあとも、役に立つと思った。

 

姉のことを羨ましいとは思わなかった。

私は、姉が幼いころと比べれば、より親として成長した父と母の
教育を受けられているはずだから。

どっちもどっちだと思っていた。

 

子どものころから、そんなことを考えていた。

 

 

29歳になった今、両親は70歳を目前に迎えている。

子どものときと比べたら、当たり前だが、本当に年をとってきた。

 

よく、親孝行をしたいときに、親はもういないという。

だから、親が生きているうちに、きちんと親孝行しなさい、と。

 

この教訓を、よく耳にするのは、
親がいつまでも元気だと思っている人が、多い証拠だ。

 

でも、私は日々、親の死を意識している。

心の準備を、むかしから、ずっと始めている。

 

よく、親が死ぬ夢を見る。

大泣きして、目が覚める。

 

 

あんまり年寄り扱いしすぎたり、

いつ死ぬかわからないって思い過ぎたら、

ほんとうに、死を招き寄せてしまう気がして、

よくないことのような気もしている。

 

 

できるだけ、元気で長生きしてほしいって、こころからこころからそう思う。

でも、彼らが生きている限り、
私は彼らの死をずっとずっと隣に意識し続けるんだ、きっと。

両親が死んで、はじめてこの不安からは、解放されるんだ。

 

生きると死ぬって、隣り合せだ。

変なの。