親が死なないと、親が死ぬ不安からは逃れられないんだなぁ。
私には2人の姉がいる。
11歳差と、9歳差のふたり。
おのずと、両親は年寄りである。
(同世代の友達のご両親と比べたら。)
私は、父も母も大好きだ。
「友だちみたいな親」ではまったくなかったけど、
それでいいと思っていた。
小さいころは、神の様に正しい人たちだと思っていた。
どうしたって、敵わない、絶対的な人だった。
私は、幼いころから、両親が年であることを意識していた。
姉からしてみたら、彼女たちがいくらか大人になっても、
親が生きている可能性が強い。
でも、自分が大人になったとき、親が元気かはわからない。
だから、親の言うことは、注意深く聞き、覚えておかなければならないと思った。
いま、深く意味を理解できなくても、
ことばを覚えていれば
いつか親がいなくなったあとも、役に立つと思った。
姉のことを羨ましいとは思わなかった。
私は、姉が幼いころと比べれば、より親として成長した父と母の
教育を受けられているはずだから。
どっちもどっちだと思っていた。
子どものころから、そんなことを考えていた。
29歳になった今、両親は70歳を目前に迎えている。
子どものときと比べたら、当たり前だが、本当に年をとってきた。
よく、親孝行をしたいときに、親はもういないという。
だから、親が生きているうちに、きちんと親孝行しなさい、と。
この教訓を、よく耳にするのは、
親がいつまでも元気だと思っている人が、多い証拠だ。
でも、私は日々、親の死を意識している。
心の準備を、むかしから、ずっと始めている。
よく、親が死ぬ夢を見る。
大泣きして、目が覚める。
あんまり年寄り扱いしすぎたり、
いつ死ぬかわからないって思い過ぎたら、
ほんとうに、死を招き寄せてしまう気がして、
よくないことのような気もしている。
できるだけ、元気で長生きしてほしいって、こころからこころからそう思う。
でも、彼らが生きている限り、
私は彼らの死をずっとずっと隣に意識し続けるんだ、きっと。
両親が死んで、はじめてこの不安からは、解放されるんだ。
生きると死ぬって、隣り合せだ。
変なの。