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サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

「結婚したい!」女性が言うのと男性が言うの、どうしてこんなに響きが違う?

30前後の女子が結婚したいって言いすぎると引かれる

ですよね。

なんでだろう?って思って。

 

 

同じ世代の男性が言う場合、なんなら好感度上がる。

こないだ会社の男の子たちと飲んだ。

結婚願望の話になって、

ひとつ年下の、そこそこイケメンの子がこう言った。

 

「すぐしたいですね。なんか、結婚して家族を持つっていうことをちゃんと経験したいなって思います」

 

 

 

・・・・。

な、なんだろう。

 

そこそこイケてる感じのアラサーの子が

結婚に対して前向きな発言をすると

なんでこんなにも、まともなイイやつに見えるのか。

 

ずるいぞ。

 

 

 

女性が言う結婚って、何を描いていると思われてるのか

さっきの男子が、好感度高い印象を残すひとつの理由は

男の人が、家庭を持つということは、

女性や子どもを養う・守る責任を負う、という連想をさせることだと思う。

 

今までみたいに好きなことできなくなるし、

ちゃんとお金稼がなきゃいけないし。

それでも、そこに向き合って責任をとっていこうという姿勢。

 

片や、女性が「結婚したい」というと、真逆で

「家庭に入る」という言葉からもイメージされるように

守ってもらう、みたいなイメージがまだあるのかな。

  

 

いやいやいやいやいや。

 

 

 

私が結婚したい理由は、その男子とまったく一緒だぞ。

家族をつくるということ。

ずっと一緒にい続けて、幸せでい続けるのは

相当な忍耐と努力が必要だと思う。

 

子どもを産むということ、母になるということも、

大変なことだと思う。

同世代の友達が、結婚して子どもを産み、

ぐずった子どもを見事になだめたりとか

わがまま言ったらピシャッと怒ったりとか

そういう姿を見ると、ほんとにすごいなって、

お母さんには敵わないなって思う。

 

そう、大変そうだからこそ。

 

 

その、経験したことのない人間の営みに

チャレンジしてみたいって思う。

それを経験できないと、人として私はひどく未熟なままな気がする。

 

「結婚したい」と私が言うとき、

まさか

ラクしたいから、とか

養ってほしいから、とか

そういう発想ではサラサラないのだ。

 

 

うちの母は専業主婦だけど、

仕事で忙しく、めったに家に居ない父に代わり、

見事に、家を守っていた。

一緒に暮らす姑を気にかけ、3人の子どもを育て、自らの母の介護をし、

ルーティンの毎日を、滞りなくまわし、

家の中を明るい笑顔で保ち。

それは、本人しか知り得ぬ努力と忍耐の賜物だったと思う。

 

私たち家族は、父も含め、それこそ

彼女に「守られて」きたのだ。

 

 

 

売れ残り感からの焦り

周りの同世代はどんどん結婚していっていて、

売れ残っている感が嫌だから。という理由で

結婚が目的化するのはよくないし

そういう人も、確かに多い。

 

私だって、焦るは焦る。

市場価値はこれからどんどんダダ下がりだぞ、と

周りから脅される。

 

家庭を作りたいという夢に対して

実現可能性が高いうちに、どうにかしたいという気持ちはあるけど、

それがゴールになっているつもりもない。

 

ですけどね。

そういうレッテルも貼られやすいのだ。

きっと。

 

 

 

 

***

 

いやあ

言いづらいの。

大きい声で、「結婚したい」って。

 

そんなお年頃。 

 

ジャズ喫茶と私

吸い寄せられるようにふらっと Mary Jane

代官山の美容院へ行ったあと、ふらふらと渋谷駅に歩いて向かっていたら

いかにも老舗なジャズ喫茶が目に入った。

 

渋谷メアリージェーン

Mary Jane

食べログMary Jane

あぁ、こういう感じ好きだなって思って

次の予定まで少しだけ時間があるから、

ちょっとだけ。ちょっとだけ。

と、階段に足を掛けた。

 

二階に向けて一度くねるその階段は、

曲がり角あたりで、大音量のJAZZが私をとりまいて

入口までの少しの道のりを高揚させてくれた。

 

扉を開け中へ進むと、案外人がいる。

大抵、ひとりで本を読んでいる。

 

マスターに、お好きな席へどうぞ、と言われたので見渡すと、

相席になる大テーブルと、角の4〜5人用のソファ席のみ空いている。

「ソファでも大丈夫ですか?」

19時から予約が入っているのでそれまでであれば、とのこと。

今は18時。余裕だ、と思い、「大丈夫です」と席についた。

 

メニューを広げて、思い出した。

そうだ、私は昔、ジャズ喫茶でよくジンライムを飲んでいた。

学生の頃の話だ。

しばらく飲んでいないそのお酒を注文し、

目のやり場もないので手持ちの本を開いた。

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うなるベース音にぼうっとしながら、

初めて行ったジャズ喫茶のことを思い出していた。

 

 

「ジャズ喫茶マサコ」と私

高校生の時から、とかく下北沢が好きで。
毎日のように自転車で行って、徘徊して、帰ってきていた。
街中の小さな劇場のアングラな演劇を見たり、
老舗のロックバーを表から見て、扉の向こうの世界に憧れたり。

駅の近くに古いジャズ喫茶があった。
塀には、たまに、猿が居た。
その喫茶で飼われている猿だ。
いつも気になっていた。

 

その店は、ジャズ喫茶マサコといった。

 

ある日、猿を横目に、勇気を出して扉を開けると

そこは、言葉にならない素敵な空間だった。

誰も、無理しないで、そこに存在しているような。

作り物じゃない、ほんとうに歴史を重ねたレトロと、心地よいジャズの音。

 

私は一瞬で大好きになって、

その後もたまに通い、よくスピーカー近くの席に座った。

好きな音楽と居心地のよさという実利もさることながら、

私は、「ジャズ喫茶マサコに来ている自分」にとても酔いしれていた。

当時、ジャズ喫茶に行く友達なんてひとりもいなかった。

みんな、チェーンの喫茶店や、カラオケにばかり行っていたから、

ここを嗜好する自分がすごくお洒落だと思った。

 

酔いしれついでに、大学生の頃はよくジンライムを頼んだ。

就活中でリクルートスーツを着ている時も、ヒッピーのような私服を着ている時も。

なぜだかわからないが、当時の私にとって、ジンライムは格好良いお酒だった。

きっと村上春樹の本か何かに、お洒落な感じで出てきたのだ。

ちびちび嗜みながら、音楽に浸かる。

 

 

そのうちにマサコは閉店してしまった。

 

 

shimokita.keizai.biz

 

 

 

***

 

 

MARY JANEも居心地がいい。

空きっ腹に向かって、つつつと流れるジンライム

すぐに私をぼうっとさせた。

この場所で存在感を消すために本を持ってみたものの、大して進まず、

壁に書かれた猫の絵の細部を観察したり、

ぼうっとした頭のなかで音楽をくるくる回した。

 

こんな居心地のいい場所が、そういえばあったなぁ。

1時間もあれば十分だと思ったのは浅はかで、

あっという間に締め切りの時間が近づいた。

 

あまり直前に出て、マスターをそわそわさせてもいけないので

15分前には御暇した。

階段を下りる私を、大音量の音楽が見送った。

また行こう、持つためだけの本を片手に。

 

「人間関係」と「掃除」は似ているなぁって思った。

「人間関係」と「掃除」は似ているなぁって思った

今日の結論はコレだけ。

 

 

***

 

 

最近、職場の大きい定例MTGで、

ちょっとしたケンカ?が起きた。

 

1部門の人が、他部門のやりかたにちょっとイチャモンつけたら、

相手も応戦して、他の部門も応戦して、ってなって、

一瞬、いやな熱さで部屋が蒸しかえった。

 

その場にいたエライ人たちが、

「現場はうまく回っていないのか?

1年前はあんなにうまく回っているように見えたのに・・・

今、何が起きているんだ?」って、

気持ちがざわついているのが傍から見てもよくわかった。

 

そのMTGのあとは、四方八方で

みんながこの話題を口にして、

それぞれの意見を言った。

「あれは○○さんの言い方が悪かったよね」

「実際▲▲さんも可哀想なんだよ」

「ほんとは▲▲さんじゃなくて××さんが気にしすぎなんだよね」

 

 

私はけっこう呑気にその景色を見ていた。

単に、コミュニケーション不足なだけだ。

エライ人たちが、大げさにざわついたおかげで

おそらく改めて話し合いの機会が設けられるから、

それで、あらかた解決されるだろうと思った。

 

 

「1年前はあんなにうまく回っているように見えたのに・・・」

エライ人の反応。

私は思った。

 

あぁ、人間関係は掃除に似ている。

 

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どんなに気合を入れて、家の隅から隅まで大掃除をしても、

その時はすごい自己満足に浸れるけれど、

一週間もたてば、少しずつ汚れは溜まっていく。

 

私はすこし絶望する。

これは、終わりなき戦いなのだ、と 突きつけられて。

 

たまの大掃除も必要だけれど、

日々、こまめにこまめに、ちょっとずつ掃除しなければならないのだ。

生活していれば汚れが溜まることは不可避。

たまる・やっつける・たまる・やっつける

そんな日々は、いつまでも終わらない。

 

 

人間関係も同じだ。

日々刻々と、汚れは溜まっていくのだ。

こまめにこまめに、メンテナンスをしなければならない。

今回、「改めて設けられる話し合いの機会」は、大掃除のようなものだ。

日々のメンテをみんなが少し怠ったから、大掃除が必要になった。

でも、大掃除が済んで、みんなが晴れ晴れとした気持ちになるのも束の間、

また、残酷にも汚れは着々と溜まっていくのだ。

人間関係も、残酷な終わりなき戦いだ。

 

 

めんどくさいけど、しょーがない。

眉毛を下げ、薄くした目で、

そう思った、このあいだのMTG

 

どこまで言ったら「口が軽い人」になるか?

最近、

 

何を

誰に

どこまで言うか

 

について、

頻繁に迷っている。

 

 

飲み会あるあるシチュエーション

ひとつの例。

 

Aさん「このあいだ、飲み会の招集係をBさんに頼んだんだけど、その飲み会にCさんとか来るかなぁ」

 

サリー「さあ・・・」

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このシーンにおいて、実はサリーは

Cさんは来るつもりがないことを知っているとする。

 

なぜなら、招集係のBさんと、Cさんをはじめとした複数メンバーが

最近うまくいっていないことを見聞きしているからだ。

 

 

その飲み会は、Bさんが招集係をやっている限りは

参加率の高い会になるとは思えない状況である。

 

でもAさんは、この飲み会を、大勢集めて

日頃できないコミュニケーションの機会にしたいと意気込んでいることを

サリーはよく知っている。

 

 

 

私はここで、何を伝えるべきか?

私は迷う。

今この場でAさんにどの程度の情報を入れるべきか?

 

①「招集係のBさんだけでなく、他のメンバーも幹事として巻き込んだ方が

 早いかもしれないですよ。Bさん最近忙しそうだから・・・」

 

②「小耳に挟んだ話ですけど、招集係のBさん、最近他のメンバーと

 うまくいってないみたいだから、ちょっとやり方変えたほうがいいかもしれないですね。

 詳しいことは知らないんですけど」

 

③「招集係のBさん、最近他メンバーとうまくいってないんですよ。

 ていうのも実は、Bさんが前開かれてた飲み会で泥酔して、

 周りの女の子に暴言吐きまくったらしくって。

 おまけにそのあとその場で一番かわいかった女の子お持ち帰りしたら

 その子を狙ってたDさんが超不機嫌になっちゃって」

 

 

情報開示レベルは様々だ。

もちろん、そもそもソース元から「絶対言わないでね」とか言われていれば

他の人には漏らさない。

でも大人の世界は、子どもの時のように、「秘密ね!ばらしたら絶交ね!」みたいな

ハッキリした情報の受け渡し方をしないことが多い。

空気を読んで、他へ漏らしたり漏らさなかったりするものだ。

 

 

開示量の見極めは難しい

たとえば、今回の例で言えば、

ゴールが「飲み会に、より多くの人が来るよう対策をとる」ことだけなら

①の示唆で十分だ。

 

BさんとCさん達がうまくいっていないことを臭わせる必要があれば

②のレベルまで踏み込む必要がある。

例えば、仕事上でもBさんやCさんと関わりの深いAさんが

そこの関係性を把握していたほうが

日々の中で考慮したコミュニケーションをとることができるので

私の親切心で伝えておく、ということもあるだろう。

ただ、Bさん&Cさん達の不仲の理由をどこまで言うかは、見極めが必要だ。

②の例では、まったく触れずに留めている。

 

③のレベルまでの開示が、本当に必要なシーンは滅多にない。

ただ酒の肴としては最高のネタなので、つい面白さを求めて言ってしまいがちだ。

情報は、内容に酒や女が絡むほど、人は隠す義理を感じず、みるみるうちに流布される。 

 

 

「何も言わない」

もちろん、これが最も私に事故がない。

でも、当たり前だが、何も変わらない。

飲み会の参加率も上がらない。

ほかの誰かがAさんに働きかけてくれることを信じて、

自分に事故がない道を選ぶのであれば、

私は毎回、すべてのことを黙っているだろう。

 

 

 

人の口に戸は立てられない

この言葉が指すことは、

人間は、基本的に言いたい欲求を持っているということだ。

基本としては言いたいから、

言わない選択をとる時は、

意識して、黙る。という行動になる。

 

「ここだけの話ね、」という言葉を

過去に何度聞いてきただろう。

ここだけ、なんてことは、ほとんど実現し得ないのに。

みんな、基本は言いたいのだから。

 

私もご多分に漏れず、基礎として言いたい資質を持っている。

加えて、少しおせっかいなところがあるので、

「この人コレ知っておいたほうがいいんじゃないかな」って

少しでも脳裏をかすると、

言うべきか言わざるべきか・・・とウンウン唸ることになる。

でも、適切だと思って渡した情報が、その後どういう形で昇華されたり、

はたまた流布されてしまうかはわからない。

狙った結果を生まなかったとき、私は単に、「バラした人」になるリスクを含む。

 

どこからが口の軽い人で

どこからが口の固い人なのだろう?

と、いつも考える。

さっきの例の②だって、ほんの少しは漏らしているのだ。

その時点で、口は軽いとみなされるのか? 

 

 

この話を知人にしたら、

「だから、情報はあまり持たないのが得策だ」と言っていた。

そのとおりだと思った。

 

でも私、たぶん、世の中でいうところの「情報通」の部類なのだ。

酒の席によく行くし、知り合いも多いから、だろう。

 

私の口の戸の開け閉め問題は

これからもつづく。

大人のマナーとして、基本はしっかり閉めつつも、

適切な開け方、そよがせ方、ができるようになりたい。

平成生まれのトリセツ

もはや使わないよね「平成生まれ」ってことば。

社会人になって、7年目を終えようとしている。

ミソジというひとつの大台も間近に控え、

よもや自分は「若手」という扱いではなくなってきた。

 

私は昭和62年生まれで、ギリギリ昭和世代。

一方で、ゆとり第1号でもある。

第1号に共通するメンタリティは、なぜか

「自分たちは正式なゆとりではない」と言いたがるところ。

実際に、第1号に執行された施策は、試験的な生ぬるいものが多かったので

事実といえば事実だが、

事実がどうというよりも、

先輩たちと比較され、ゆるい、やわい、とバカにされたくなかったのだ。

 

というわけで、自らと下の世代とのあいだに線を引き、

川の向こうの若者たちを、ほんちゃんのゆとり世代という意味も含め

「平成生まれ」と揶揄してきた。

 

http://tomitoko.com/home/wp-content/uploads/2016/07/auto_FW0qrg.jpg

 

 

 

社会人7年目ともなると、当然ながら

関わりを持つ年下の層に厚みが増していき、

現在同じ職場には、平成9年生まれの子もいる。

学生時代に平成生まれと呼んでいた、同じ塾や部活にいた後輩は

せいぜい平成元年とか2年だったから、

平成9年なんて、平成であることが特別でもなんでもない、

意識するまでもなくどっぷりと平成な、新人類である。

 

 

 

新人類と、どう向き合うか? 

私ですら、その新人類の皆々様へ

「平成生まれと呼ぶまでもない平成生まれ…!(-_-)」と感じているのだから、

私の諸先輩方は、彼らの扱いに、より迷いを感じているようである。

 

今時の若い子に厳しくすると、心が折れてしまうのでは?と思うらしく、

距離をはかりながら、なかなか踏み込まない。

また、自分の価値観で何かを求めても、今の子には伝わらないのでは?とも懸念するようだ。

 

結果として、至極甘い。

 

 

新人に媚びる人事も増えている気がする。

他社に逃げられないように、甘やかす。

どう接すればいいのか考えあぐねている感じ。

「あなたの味方です」といい顔をして、

彼らのワガママ(私達から見て、だ)を叶えたりする。

 

 

かつての教育方針

かつて、新人時代に必要とされてきたものは

「抑圧」または「失敗」じゃないだろうか。

 

抑圧は、

メインの仕事をさせてもらえない、理不尽なめにあう(本人の感覚として)、など。

失敗は、

チャレンジした結果、力不足で成功しない経験。

 

 

新人への抑圧

雑務ばかりやらされて、なんてつまらないんだと思う傍ら、

仕事というのは下流の、地味で面倒な、でも必ず必要となる雑務に

支えられて仕上がっているのだという視点を得る。

 

飲み会の時には、ひたすらにお酒を注いでまわらされる。

「次の店行くぞ!」という雰囲気になる直前から、界隈のお店に駆け込み

「15名入れますか」という交渉の行脚を開始する。

 

こんなことするために、この会社に入ったのか・・・

と、思うこともあるだろう。

でも、そんなもんだったのだ。

 

 

ほんのひとさじ、似た話。

「若いころの抑圧」、について、

高橋一生が、A-studioで、弟に家計簿をつけさせているエピソードを語っていた。

www.sponichi.co.jp

年の離れた弟たちには家計簿を付けさせており「若い頃っていうのは、ある抑圧をかけないといけない。ちゃんと規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。規律みたいなものをしっかり持っていてもらいたい」と、しっかり者の兄としての顔をのぞかせた。

 

若い時に一定の抑圧を受け、大人になってから自由を得たほうが、

その自由は大きく、美しいと言っていた。

 

高橋一生、めちゃ昭和。好き。好き。

と思った瞬間。(*´ω`*)

 

 

新人の失敗

ともかくやってみろという文化もある。

みずからの頭で考え、実行し、失敗し、失敗から学び、というサイクルを踏みしめるのが

最も早く成長できるという思想がそこにはある。

どちらかというと、こちらの方が今風だ。

 

年を重ねてからの失敗は、

許されるのも、立ち直るのも、難しい。

だから、なるべく若いうちに失敗しておいたほうが良いという。

 

 

抑圧と失敗。

両者のハイブリッド版の方針もあると思う。

でも大別するならばこの2つが代表格だ。

 

 

 

私のまわりの若い子は、どちらでもない扱いをされている。

つまらない庶務ばかりさせられているわけでもない。

一次会で帰っても許される。

思い切った失敗はさせてもらえない。

 

そこに、教育者の思いはない。

遠巻きに、恐る恐る指先で触られているだけだ。

 

 

 

結局、先輩たちは自分の過去を肯定しがち。

「あの子は若いんだから、もっと苦労するべきだ 」とか、

「甘やかされすぎだ。あいつは下っ端としての気が利かない」とか、

色々、みんな思っている。

 

結局、自分の通ってきた路を肯定したいのだ。

自分が抑圧を受けてきたなら、それは必要なことだったと思いたいし、

自分が失敗を重ねてきたなら、それが自らの血と肉になっていると思いたい。

私もそうだ。

 

でも、「自分の感覚は時代錯誤かもしれない」との不安がよぎった結果、

若い子たちに対してのアプローチを止めてしまってはいけない。

私は、止めるくらいならば、自分の人生の正攻法で説教したほうがましだと思う。

人間なんてこの千年のあいだでもきっと180度も変わらないのだから、

その説教に示唆はかならず含まれるはずだ。

まず今日の結論そのいちがコレ。

 

でも、時代を象徴する教育の特徴は見極めたほうがいい。

結論そのにがココ。

たとえば、抑圧について。

高度経済成長期の、「より多く作れば、作った分売れる」時代に必要だった、

ルールを守り、言うことをちゃんときき、同じものをたくさん作れる人員は

いまやロボットに取って代わられる時代。

能動性を奪う抑圧の仕方は、逆効果だ。

そういったものは、現代で適用すべきでないだろう。

 

または、お酒の席について。

ここは賛否が分かれるかもしれないけれど、

まずサリーは、 まわりのために働いて

損はひとつもないと思っているので、

気がつく人になれるなら、なっておくべきだと思う。

お酒ついだりとか、お店探したりだとか、

みんなが気持よく過ごすための働きについては、

古風だとかいうジャンルではないと思う。

 

一方で、無理に飲んだり、いやなイッキに応じる必要はないし、

下世話な話題に付き合い切る必要はない。

こういう文化は、ものすごく前時代的だと思う。

 

 

 

***

 

若いやつのことは、よくわからん!

と、ハレモノ扱いして、

自分たちがまっとうだ、と遠くの方でのけぞるような

大人にはなりたくないな。

 

色々書いたけど、同じにんげんなんだから、

言うほど変わんないと思うんだけどな。

ちょっとした違いは違いで、楽しんだらいいし。

どっちがエライとかいうこともないし。 

さ。

 

3.11の1週間後に、書きなぐった、そのときのほんとのリアル。

3.11の一週間後に、mixiに書いた日記を転記。
当時私は24歳。

 

あれから、5年かぁ

 

***

 

 

日本が揺れたあの日から数日間
人並みの気持ちの変化を経てきました。
結論としては皆と同じ

 

やれることをやるしかない

 

のだけど

 

付随して色々考えてしまうんですね。にんげんですね。

 


◇週末までは
ニュースとツイッターの世界に引きこもりすぎた。
心動かされたツイートにひたすらRT。
日本人であることへの誇りをみるみるうちに得ていく人々に
共感し、鼓舞される自分をコントロールできない。
TVからとめどなく流れる、自然に呑まれる街並みの画に
ただただ戸惑う自分をどうにもできない。
結果、不安と悲しみと感動の堂々巡りに疲弊。


◇週が明けて
「自粛」とか「不謹慎」に騙されつつも、
「被災地」ではなく、「支援の地」であることを自覚してきた東京で
少しずつ、普通の感覚を、余裕を、取り戻してきた。

そしてなんとなく感じてきた、この地の、ある意味生き生きとした人々。
普段よりも家族が早く帰ってきて、
なかなか無い、家族みんなで囲む平日の食卓に、
ニュースを憂いつつも、いつもより楽しそうな母親。
普段どんなに孤独だったり、見下されたり、
世間のはみ出し者だったりする人も、
この国難を共有していることで「当事者」になり得る、
計画停電の不便を味わうことで「共同体の一員」になり得る、こと。
否定する訳では決してなく、ただ感じていた。

 

 

◇今日出勤しながら
眩しい日差しの中で歩いていて
太陽の、世界も、心も、温かくする明快な素晴らしさを思ったとき、
あたしの感覚がとても馬鹿馬鹿しいとわかった。
有名人が多額の募金をアピールすることを売名行為だと貶す人や
何かにつけて「偽善」だと否定する人と
考え方としては一緒だ。
今取り上げるべきは個人レベルの満足感や利益や
行為に至るプロセスじゃない。被災地へ届く結果だ。

 

 

募金は役に立つこと。
節電は役に立つこと。
献血は役に立つこと。

 

 

災害は大変な不幸をもたらすけれど
人の心や共同体の強さが試される時。

悲劇から私たちが学ぶべきことは「慈愛」であって、
慈愛は疑わず素直に感動すればよいのだ。


単純明快な答えが本当に腑に落ちるまで、
特に人の感情にまつわることを
変にこねくりまわして交えて考えすぎるのがあたしの悪い癖だ。

でも人間は考えることをやめてはいけないから
こねくりまわさない、ことが必要なのだけど、難しいね。


東京はこれからが試練の時。
取り戻す日常の中で、当事者であり続ける強い想像力を。


そしてあたしは
母のためにたまには早く帰ろうと思います。
(コレがまた長続きがムズカシイのだけど。)

人の嫉妬心ほど、怖いものはないもの。

先日、友人と飲んだ。

 

彼女は、世間一般にまぁまぁ知られている企業に勤めていて、
先日まで社員旅行でハワイに行っていた。

 

http://cre-hikaku.com/wp-content/uploads/2016/03/large.jpg

ダイビングの話や
ショッピングの話よりも、
印象に残った話がひとつあったので、
ちょっと、紹介したい。

 

***

 


人の嫉妬心を買う可能性のある、華美な事実の取扱いには
人それぞれのルールがあると思う。


「社員旅行でハワイに行きました」


これも、さまざまな受け取られ方をする可能性をはらむ事実だ。


彼女の周囲の数名だけでも、
その対応はあまりにバラバラだという。

 

ケース1 SNSの取扱い

これは、わかりやすくまっぷたつ。

何も気にせず(あるいは意識的に・自慢げに)写真をあげる

または

意識的に、あげない。


彼女は生粋のインスタ系女子なので、
綺麗な景色、楽しそうな水着の姿を
けろっとあげていた。

 

私は、彼女のことはよく知っているので、
見ていて何の悪い気もしない。
単に、楽しそうでよかったなー、と、思う。

 

でも、私だったら、あげない。


万が一あげても、社員旅行だとは言わない。

 

だって、前回の投稿じゃないけれど

 

sally-no-kimochi.hateblo.jp

 

あげたところで、
「いいなー」「羨ましい」みたいなコメントが返ってくるだけだもの。

 

お互いなんにも面白くないし、
ずるい、とか、あの会社はさぼってばかりで、とか、
よくわからないこと思われても面倒だから。

 

ケース2 対家族の場合 幼少の子どものお父さん編

保育園に通う子どものパパは、
旅立ちの日、
「おしごとでちょっと遠くに行ってくるね」と言い、
どこへ行くかは言わなかったそう。

 

ねぇ、パパはどこへいくの?????

 

と何度聞かれても、答えず。


なぜなら、
保育園で、子どもは、どんどん周りのお友だちに言ってしまう。
そうすると、周りのママたちにも瞬く間に広がっていく。

 

結果、
ママさんたちのあいだで、
その家庭の仕事のこと、年収のこと、
根も葉もなく色々と噂されかねない。

 

とっても面倒なのだという。

 


ケース3 対家族の場合 小学生以上の子どものお父さん編

真逆のケースもあった。

 

お父さんは社員旅行でハワイに行ってくるよ、と
前のめりに伝える。

 

そうすると、子どもは、

「お父さんは、すごい会社で働いているんだ!」

「お父さんの会社は、いい会社なんだ!」

というイメージに繋がり、
子どもが喜ぶという。

 

 

***

 

 

「社員旅行でハワイに行く」

大したことのような、大したことじゃないような。
人それぞれ、色々考えたり、考えなかったり。

 


自分の努力で勝ち得た何かは
自慢したい気持ちになるけれど、
あまり関係のないものは、
むやみに振りかざしたくないなぁ。
人の嫉妬心ほど、怖いものはないもの。