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サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

詩人・文月悠光さんのこと。

昨年の12月中旬、はじめてTVの観覧に行った。

 

www4.nhk.or.jp

 

朝まで生テレビみたいな討論番組で、

1975年以降生まれのみの面々が、日本の未来について侃々諤々する。

 

11人いた論客の中、ひときわ異端だった女性が居た。

文月悠光さん という、詩人の方だ。

 

http://pds.exblog.jp/pds/1/201507/01/76/d0101676_15541604.jpg

1991年北海道生まれ、東京在住。
高校3年時に出した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で、
中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少受賞。
早稲田大学在学中に、第2詩集『屋根よりも深々と』を刊行。
2016年秋、初のエッセイ集『洗礼ダイアリー』、第3詩集『わたしたちの猫』を刊行する。
NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、書評の執筆など広く活動中。

http://fuzukiyumi.com/

 

 

現場は、とかく早口だった。

観覧者や視聴者に向けては、聞き取りづらく不親切だなと思いつつも、

次々と繰り広げられる論客の問いかけに対して、他の論客が瞬時に切り返すその

スピーディーな展開には、息を呑んだ。

自分の脳味噌がついていけるのか、自らへも勝負をかけられているような気がして

ワクワクした。

 

矢継ぎ早に難しい言葉が行き交う中で、

文月さんがあてられると、不自然な間が生まれた。

 

彼女は、他の論客のように、クイックレスポンスができない。

明らかに、まごついていて、

論客や観覧者は、彼女がことばを選ぶまで、不自然な静けさを享受した。

 

困った顔をしながら、ぽつぽつと話しだすと、

話しながら、また他の思いが生まれ、連なりながら話は止まらず、

まとまりきらないその話を、我々は忍耐強く聞いた。

 

明らかに、討論番組らしからぬ存在であった。

 

私にとって、彼女の話の中には、なるほど、というエッセンスは散りばめられてはいたものの、

はっきり言って、場違いな空気を感じていた。

 

 

真冬にも関わらず、半袖Tシャツで、次々と叡智を撒き散らす安部敏樹さんとか、

ダレてきたスタジオを、その明るさと聡明さで見事にリフレッシュさせた石山洸さんに

私は心を打たれていた。

 

さて。

後日、この記事を読んだ。

文月さんが、あの撮影を振り返り寄稿したものだ。

cakes.mu

 

・・・なんかね、猛烈に謝りたい気持ちになった。

 

じっくりと考える「時間」と、

表現手法としての「文章」というものを手に入れた彼女は、

途端に、別人になっていた。

 

考えてみれば、「詩人」なのだから、

その道のプロなのだから、当たり前なのだけれど。

 

とかく、現代は、「クイックレスポンス」が求められることが多い。

頭の回転が速いこと。効率的なこと。簡単であること。

 

でも、文月さんの在り方というのは、なんというか、

まゆを潜めて、細く脆い糸をぎゅっと掴んで、ジリジリと、ジリジリと

注意深く、でも力強く引っ張り、

奥の方からキラリと光る何かを導き出すような、

 

そして、その光るものを、大事に持ち上げて、多方面から見回し、

言葉を紡いで、紡ぎだした途端リズムに乗って、私たちに訴えかける。

 

 

 

思った。

人の脳みそレベルを、頭の回転・スピード感だけで判断してはいけない。

また、得意な表現手法も人それぞれ。

ひとつの手法によるアウトプットだけで判断してはいけない。

 

人の可能性って、色々なんだな、と

実物と、文章とで、こんなにもギャップがある人を初めて目の当たりにして

私の世界はまたひとつ拡がりを見せましたとさ。