どうしても持ち帰れない捨て猫を発見したとき、あなたはどうするか?
なんですか、この寒さは。冷たくて痛い強風は。
昨日は、めのまえで知らない人達3人のビニ傘が同時にバッッッッて逆になって
景色いっぱいに3人分の必死さと恥ずかしさが広がり
こちらがどうしていいかわからなくなったぞ。(ヽ´ω`)
さて、タイトルですが。
問いをもう少し具体的にしましょう。
とある小学生がふたりで道を歩いていると、
赤ちゃんが泣いている声がした。
その声の元をたどると、そこは空き家だった。
恐る恐る中に入ってみると、その声の主は赤ちゃんではなく、捨てられた子猫だった。
おなかをすかせて、悲痛に鳴いている子猫。
小学生は、その子猫に対して、とっても可哀想だと思った。
でも、どちらの子も、家に持って帰っても親に怒られてしまうと思った。
さて、この子たちはこのあと、どうしたでしょう。
これ、小学校高学年向けの、国語のテストらしいです。
さて、回答者の子どもたちは、なんて書いたでしょう?
- それでも持って帰って、親を説得してみる。
- 毎日えさをやりに行く。
- 周りの人に、引き取れる人がいるか聞いてみる。
そんなことを書いた子もいたでしょう。
が、大半の子は、こう書いたらしい。
- ペットショップに、売る。
(TOT)
(TOT) (TOT) (TOT) (TOT) (TOT) 。。。。
この話は呑み場で聞いた話だから、
詳しいソースも何もわからない、不確かなはなし。
でもこれがほんとだったらもう、もう、
おったまげってぃー極まりない(´;ω;`)
もちろん、クラスにひとりとか、学年に数人とか、
そういうボリュームで、そういうこと書く子がいるのはわかる。
大半の子、が、本当にそう書いたのだとしたら。
そういう思考に持っていく
「教育」がされているということだ。
- 自分が苦労を負わない、人にまるなげる
- 中長期対策ではなく即時解決
- なんなら利益を得る手法
- いのちを売るという行為
こういう思考に、いきつく教育。
さらに、日本の教育は「なぜ?」を考えさせて、
自分で考えてアウトプットを出すのではなく、
「正解すること」に重きを置かれる。
そしてその正解は、日本のテストにおいては、いつでもひとつしかない。
考えようによっては、複数の解があるような問いに対しても、
出題者の意図を汲んで、そっちの解に寄せに行くのが日本のスタイル。
そっちの解に寄せられなかったら、「×」をもらうことになる。
今回の件においても、寄せた結果がこれ。
だったのだとすれば、
(´・ω・`)
昨今、公立学校の教育についての問題が露出することが多い。
算数のテストで、答えはあっているのに、
まだ習っていない掛け算使ったらバツになった話、とか。
こわいである。
そんな低レベルの教育を受けた子どもたちが
成長していった時に作る社会はどんなものか。
むむむ。
(´・ω・`)。