サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

脊髄反射SNS vs 芸術・アートの世界。

ワカモノの口癖「情弱だからー」。

最近、私の友人達は、よく自らのことを「情弱」と揶揄して遊ぶ。

 

流行っている新しいサービスのことには詳しくないし、

そもそもITリテラシー高くないし、

携帯はすぐデータ制限に引っかかり、

月の後半2/3は、おすすめのブルゾンちえみ動画のリンクを送っても

「ごめーん制限中で観られないーくそー」と返事がくる。

 

じょうじゃく、なんて言葉は、昔は使わなかったなぁと思うのである。

 

 

この世は、効率重視の極み。

改めて言うほどのことでもないけれど、

現代社会は、「情弱」の言葉に象徴される通り、情報に溢れている。

どれが確かか不確かかもわからない。ただただ量が多い。

そんな中、「パーソナライズ」「マッチング」なんて呼ばれる

なぞのアルゴリズム

私たちは「誰かが選んだ、自分にマッチした情報」を取得すればいいことになっている。

それが、「効率的」ってことになっている。

 

一方で、ITやAIの発達により、単純作業は機械に代替され、仕事は複雑化。

なのに、通信スピードが上がり、私たちの仕事のスピードも上げざるを得ず。

複雑な仕事を、速くやれとな。

そのオーダーは、「効率を上げろ」というメインメッセージを含む。

 

まあ、

とかく、「効率」が求められる世の中である。

 

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SNSが普及してどうなった?脊髄反射の毎日

現代社会の象徴のひとつは「SNS」だと思う。

私も毎日、何かしらのSNSに触れて生きている。

 

SNSを通じて、私たちは脊髄反射的に世の中に発信できるようになった。

何かのニュースや事象に対して、「即反応」できるし、

その分、その話題が淘汰されていくのも速い。

何かが起きたら、瞬間的にわっとみんなが反応して、泡がしぼむように小さくなり消えていく。

 

その脊髄反射の発言は、

ふかーく推敲して推敲して、周囲の関連事項も考慮した仕上がりには

到底できづらい。

時間をかけて仕上げたところで、その話題はすでにしぼみかけていて、注目度が下がっている。

盛り上がりタイミングに合わせながら、誰にでもできるアクションは、

より、本能的・刺激的な単語や、わかりやすい論調を並べることだ。

 

 

 

そんな現代における「芸術」の役割

芸術は、効率的ではない。

人やものによっては、何年も何年も何年もかけて、完成させる。

 

芸術は、往々にして理性も伴う。

本能とか、衝動とか、感覚とかで、わーっといくようなイメージもあるけど、

深く深く思いを巡らすということは、

理性も本能も全部巡らすということなんじゃないかと思う。

 

現代は、こういう、

中長期の時間をじっくりかけ、深く深く考え抜くということが

軽視されがちだと思う。

効率的であること、速いこと、わかりやすい(単調である)こと、バンザイ主義。

 

 

でも、「じっくり、深く」に代表される

「芸術」や「アート」の類が、

今こそ、もっと大事にされるべきだと思うんだ。

 

 

なぜなら、

速さやわかりやすさだけを求め、

じっくり、深くのスキルがなくなっていくと、

騙されやすく

理性的でない

世の中になっていってしまうから。

 

 

文学にしろ、絵画にしろ。

そういうものでこそ、トランプ批判とかやってほしい。

 

たとえばそんなひとつの絵画の前で、1時間でも2時間でも、じっと佇みたい。

絵画と対話して、自らと対話して。

贅沢な時間だ。

だけど、絶対にむだじゃない。

 

 

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はあ、

ブルゾンちえみの動画サーフィンもいいが、

今週末は、美術館に行こう。