読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

生まれつきの「愚痴っぽい人」ってなかなかいないよ。じゃぁどうして愚痴ってしまうの?っていう話。

仕事 徒然論

ぐちぐちぐちぐち

 

愚痴を言ってるシーンって「ぐちぐちぐちぐち」という音が

すごく似合う。

そのシーンの音声をOFFにすれば、口の動きがどうあれ

「ぐちぐちぐちぐち」に聞こえてくる。

 

愚痴っぽさに含まれる粘着性が、音から感じられていい。

ぐちぐち

ねちゃねちゃ

って感じ。

 

 

f:id:sally-no-kimochi:20170211130150j:plain

※すみません納豆は大好きです。

 

 

職場に、ぐちぐちしたチームの登場

 

さて、最近我が職場では

とあるチームの

「愚痴っぽさ」

が、話題である。

 

どんな愚痴か?といえば、

「○○○チームは何もわかってない」

「▲▲さんが進めているあれは進め方が悪い」

等、

要は、人や他チームへの不平不満である。

 

 

そのチームの周囲では、

「あそこはモチベーションが低下が著しい」、とか、

「結局自分で何も変えようとしないし、主体性が足りない」、とか、

「モチベーションの高いチーム相手に、ネガティブキャンペーンをされて

負の影響を与えられたら困る」、とか、

なんにゃなんにゃ言われている。

 

 

「愚痴っぽい人」って、なんだ。

そのチームの人達は、個人個人が「愚痴っぽい人」と捉えられるようになった。

でもその表現は、ちょっと雑だと思う。

 

愚痴っぽさで人を分類すると、こんなイメージ。

1,誰にも愚痴を言わない人

2,言いやすい人には言う人

3,誰かれ構わず言う人

 

 

1は、心の強い人ではあるが、周りからすると「大丈夫?たまには息抜きしてね」って気持ちになる。

3は、ある意味とても心の強い人である。鈍感力、とも言う。

 

大抵は、2に分類されると思う。

(かなりグラデーションはあるのは承知)

 

今回のうちの職場のぐちぐちチームの皆さんも、

凡そ「2」であることに注目したい。

 

 

例えば、ぐちぐちチームの中にAさんという人がいる。

Aさんと仲良しの、BさんとCさんという人がいたとする。

Aさんは、Bさんにはすごく愚痴を言うけど、Cさんにはほとんど言わない。

 

それは、Aさん云々というより、BさんとCさんの振る舞いが肝だ。

Bさんは言いやすい空気を作り、Cさんは言いづらい空気を作っている。

例えるなら

Bさんは、「そうね、あなたが可哀想」という態度を示し、

Cさんは、「そんなこと言っててもしょうがないじゃん、ださ」という態度を示す。

 

 

「愚痴っぽい人」は周りが作る

今回のぐちぐちチームの例えで言うなら、

チームのメンバー同士で、助長し合い、愚痴っぽい人を互いに育てていったし、

周りのチームも、そんなチームの存在を許容する態度をとっているということだ。

 

そのチームのモチベーション回復のために、今個人面談とか進めているみたいだけど、

策のひとつは、周りが、「何いってんのおまえら、ださ」って空気を出すことじゃないかと思う。

もちろん、彼らの不平不満を、前向きに改善していくことには、きちんと寄り添う上で。

 

だから、私は、できるだけ前向きで建設的な言葉を発信して、

「この人に愚痴ってもダサいって思われそうだから言わないでおこう」って

周囲が思うように、いたい。

そういう人が増えていけば、明るい職場になるとも思う。

 

 

「愚痴」ってことばは、便利であやふやだ。

「愚痴られる」ことを、喜ぶ人もいる。

なんだか、心を許してもらったような。

本音を話してもらっているような。

虚勢をはらず、かっこつけず、ありのままを見せてくれているような。

 

「たまには、愚痴りなよ」

「いつでも聞くよ!」

みたいに、寄り添う態度をとってみたり。

 

でもさ。

悲しみ、とか、寂しさ、を打ち明けることで

浄化する行為と混同しちゃいけないと思うである。

 

「人のせいにして、終わる」 

私の中で、これが、愚痴。

 

 

私は、愚痴は好きじゃない。

自分を守る言葉を吐き続けていると、

自分がその言葉に呑まれてしまうから。

最初はちょっとした息抜きで、「言ってみただけ」って思っていても、

だんだん、自分の中で、本当のことになっていく。

さらに、打ち明けた先の周囲が、

「そうだねかわいそうに」って一番簡単な姿勢をとろうもんなら。

言葉の力っていうのは、恐ろしい。

 

だから、先に言った、「私は愚痴を言われない空気を作る」という宣言も、

べつに、悲しい気持ちや寂しい気持ちを、聞きたくない、ということでは決してない。

 

さらには、

「正しく」振る舞おう、という、なんというか聖人ぶってるわけでもない。

「楽しく」過ごす、コツのはなし、の、つもり。