読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

素晴らしい指導と、頑張りきらなかった私。もう会えない、大好きな先生。

忘れられない先生がいる。

 

 

中学生のころ通っていた
ピアノの先生だ。

 

 

新井先生といった。
上品な、おじいちゃん先生で、
私のように、趣味として片手間で習うには、
勿体無いほどの、いい先生だった。
本業は音大で教えていた。

 

私は、ピアノの練習が嫌いだった。

レッスンは、毎週水曜17時から。
水曜になると、私はいつも15時ごろに、重い気持ちで家に帰った。

 

そこからは、死にものぐるいの集中力で練習。

前回のレッスン以降、ピアノに触っていないので、
この、レッスン当日の直前1時間半ほどの練習が、
前回レッスンからの進歩のすべてになる。

 

追い詰められた、あまり健康的でないプレッシャーの中、
全力疾走で練習をしたあと、
家から自転車で3分の距離にある先生の家へ向けて、
16:55に家を飛び出し、
16:58ごろ、先生の自宅の古びた重い扉を、ぐぐぐと押す。

 

薄暗く、重々しい木製の家具や、しめった絨毯のにおいがして
どこか、時が止まっているような、
長い時間がこの空間には溜まっているような、
そんな空気を切りながら、私は階段を一歩ずつ降りる。

 

 

 

なぜだか、冬場の記憶しかない。
レッスン室に入ると、先生が「はい、こんにちは」と声をかけてくれる。
レッスンは1時間。
私は、1時間もつほど、前回レッスンからの前進がないので、
まず、時間稼ぎに、「さむいさむい、まだ指が動かない」という。

 

いつもそうだから、いつからか先生は、
石油ストーブを、すごくあったかくしておいてくれた。
「はい、ここにおいで。」と、その前に私をいざない、
穏やかに気長に、待っていてくれる。

 

さすがに、10分も稼げないその儀式のあと、
そろそろはじめましょうか、と、レッスンは始まる。

 


それまで、私は、音大生の姉や母親にピアノを習っていた。
新井先生は、はじめての、男の先生だった。

 


先生の教え方は、いままでに経験したことのないものだった。

 

 

姉や母の教え方は、部分部分を指摘し、修正し、
そうして積み上げで曲全体を良くしていった。

 

片や新井先生は、細かい指示はまったくしなかった。
いつも全体をみていて、指摘する場所は少なかった。
でも先生の言うように修正すると、曲が、がらりと、よくなった。

 

幼いながらに、私は、すごく男性的な指導だと思っていた。
こんな風に、女性にはできない。


先生の言うことは、難しかった。
私には無い発想のことも多く、言われることに、なかなかピンとこなかった。
でも、だからとてもいい先生だと思った。
私ひとりでは絶対にならない演奏に、最後には仕上がるから。
私にとって、先生は魔法使いみたいだった。

 

 


練習不足の私を、先生は怒らなかった。
「次は、ここまではやってこようね」、という分量を、
私に気を遣って、多くは与えなかった。
それをいいことに、私は、その枠を広げようともしなかった。
そうして、薄いレッスンを、のんびりと続けていた。

 

 


年に一度、発表会があった。

私は、練習は嫌いだけれど、
発表会でトチをするのは嫌だった。
だから、自分の中で恥ずかしくないレベルにまでは
発表会までに無理やりもっていっていた。
練習不足なりに、本番ではどうにか一定ライン以上の成果を残すので
「さっちゃんは本番に強いね」と、よく姉に言われていた。


それでも、人生で最後の発表会になった中2のとき、
今までで最悪の演奏をした。
ベートーヴェンテンペスト
何度も何度もミスをしたし、
暗譜が完全ではなく、途中で次のフレーズを忘れて止まってしまった。

 

私は、新井先生にも、みんなにも、恥ずかしかった。
明らかに、準備不足だった。

 

 

先生は、後ろのほうで立って聴いていた。
目に入った先生は、なぜだか、満足そうにしていた。
私には、それがわからなかった。

よかった、と、ほめてくれた。
先生は、よくないものに、よいということは、絶対にない。

自分の満足度が低い分、微妙な気持ちになった。

 

母や姉も、ほめてくれた。
たしかに、ミスは多かったけれど、
でも、テンペストという曲を、理解し、世界が、ちゃんとあって、いい演奏だったと。

 


新井先生は、なんて凄いんだろうと思った。
私は自分のテンペストが、どう仕上がっているかもわかっていなかった。
ただただ、先生の言うとおりに、ついていっていただけだ。

 

私は、自分の努力不足を悔いた。
せっかく新井先生が、私にすばらしい指導をしてくれているのに、
もっと練習すれば、もっといい演奏ができたはずなのに。

 

私は、とても勿体無いことをしてしまった、と、後悔した。

 

 


それが、新井先生の前で弾いた、最後の演奏になってしまった。

 

 

 

 

 

私は、その後学校が忙しく、受験勉強もはじまり、
フェードアウトするように、ピアノをやめることになった。

 

 

それから、何年経った頃だろうか。
先生の家の近所を、
先生と奥様がふたりで歩いているのを見かけた。

 

 

声はかけなかった。
かけられなかった。
私は直感的に、感じていた。
先生に会えるのは、これで最後だ。

 

先生は、弱々しく、ゆっくりと歩いていた。
その瞳は、ぼんやりとしていた。
私がピアノを弾いている隣で、
もっと、もっと!!と煽っていた、あの先生のエネルギーは
もうそこにはなかった。

 

 

家についてから、私は静かに泣いた。

 

 

 

 

それからまもなく、先生が亡くなったと聞いた。

 

 

やさしかった新井先生。
大きな大きな視点で、私の演奏を飛躍させてくれた、
すばらしい指導者だった新井先生。

 


実家を出て5年。
たまに帰省し、先生を最後に見かけたあの道を通ると、
ふしぎな気持ちがおりてくる。

 

切ないような、あったかいような感覚。
そして、すこしの後悔。

 

 

 

 

あれ以来、ピアノは弾いていない。
叶うなら、もう一度新井先生のレッスンを受けたい。
石油ストーブの前で、指を温めたあとに。