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サリーのきもち。

29歳独女サラリーマンの、日々のうんぬん。

脊髄反射SNS vs 芸術・アートの世界。

ワカモノの口癖「情弱だからー」。

最近、私の友人達は、よく自らのことを「情弱」と揶揄して遊ぶ。

 

流行っている新しいサービスのことには詳しくないし、

そもそもITリテラシー高くないし、

携帯はすぐデータ制限に引っかかり、

月の後半2/3は、おすすめのブルゾンちえみ動画のリンクを送っても

「ごめーん制限中で観られないーくそー」と返事がくる。

 

じょうじゃく、なんて言葉は、昔は使わなかったなぁと思うのである。

 

 

この世は、効率重視の極み。

改めて言うほどのことでもないけれど、

現代社会は、「情弱」の言葉に象徴される通り、情報に溢れている。

どれが確かか不確かかもわからない。ただただ量が多い。

そんな中、「パーソナライズ」「マッチング」なんて呼ばれる

なぞのアルゴリズム

私たちは「誰かが選んだ、自分にマッチした情報」を取得すればいいことになっている。

それが、「効率的」ってことになっている。

 

一方で、ITやAIの発達により、単純作業は機械に代替され、仕事は複雑化。

なのに、通信スピードが上がり、私たちの仕事のスピードも上げざるを得ず。

複雑な仕事を、速くやれとな。

そのオーダーは、「効率を上げろ」というメインメッセージを含む。

 

まあ、

とかく、「効率」が求められる世の中である。

 

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SNSが普及してどうなった?脊髄反射の毎日

現代社会の象徴のひとつは「SNS」だと思う。

私も毎日、何かしらのSNSに触れて生きている。

 

SNSを通じて、私たちは脊髄反射的に世の中に発信できるようになった。

何かのニュースや事象に対して、「即反応」できるし、

その分、その話題が淘汰されていくのも速い。

何かが起きたら、瞬間的にわっとみんなが反応して、泡がしぼむように小さくなり消えていく。

 

その脊髄反射の発言は、

ふかーく推敲して推敲して、周囲の関連事項も考慮した仕上がりには

到底できづらい。

時間をかけて仕上げたところで、その話題はすでにしぼみかけていて、注目度が下がっている。

盛り上がりタイミングに合わせながら、誰にでもできるアクションは、

より、本能的・刺激的な単語や、わかりやすい論調を並べることだ。

 

 

 

そんな現代における「芸術」の役割

芸術は、効率的ではない。

人やものによっては、何年も何年も何年もかけて、完成させる。

 

芸術は、往々にして理性も伴う。

本能とか、衝動とか、感覚とかで、わーっといくようなイメージもあるけど、

深く深く思いを巡らすということは、

理性も本能も全部巡らすということなんじゃないかと思う。

 

現代は、こういう、

中長期の時間をじっくりかけ、深く深く考え抜くということが

軽視されがちだと思う。

効率的であること、速いこと、わかりやすい(単調である)こと、バンザイ主義。

 

 

でも、「じっくり、深く」に代表される

「芸術」や「アート」の類が、

今こそ、もっと大事にされるべきだと思うんだ。

 

 

なぜなら、

速さやわかりやすさだけを求め、

じっくり、深くのスキルがなくなっていくと、

騙されやすく

理性的でない

世の中になっていってしまうから。

 

 

文学にしろ、絵画にしろ。

そういうものでこそ、トランプ批判とかやってほしい。

 

たとえばそんなひとつの絵画の前で、1時間でも2時間でも、じっと佇みたい。

絵画と対話して、自らと対話して。

贅沢な時間だ。

だけど、絶対にむだじゃない。

 

 

****

 

はあ、

ブルゾンちえみの動画サーフィンもいいが、

今週末は、美術館に行こう。

【バレンタイン】友チョコならぬビジチョコの、効果効能。

私にとってのバレンタインは、有益なビジネスコミュニケーションである

 

私は毎年、大量のお菓子作りをする。

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今年は、3種類・計50個ちょっと作った。

これ、その9割以上を、会社で配りきる。(男女両方)

 

いまどき手作りする人って、そんなに多くないみたいで、 

会社でもだんだんと恒例の名物になっていく。

特に女子からの期待値が高く、

増え続ける負荷を感じつつも、やめることができない。

 

たくさん配りたい気持ちはあれど、

あんまり小さく切って、しょぼくして数を増やすこともしたくなく、

ひとつひとつ、まぁまぁの満足感を得られるサイズにしようと思うと、

なかなか骨の折れる作業である。

 

 

「やる意味ある?」と思う、バレンタインのあるある風景

勿体ないなぁと思うのは、

まわりの女子たちが、

直接渡さず、離席中の机の上にぽいぽい置いていく風景。

すごくよく見かける。

 

男性が席に戻ると、こそこそと

「ねえこれ誰かわかる?」と聞きまわり、

差出人が判明すると、軽くお礼を言いに行って、

ホワイトデーに、ちょっと高い市販の何かを用意するのだ。

 

なんか、すごく義務的な儀式。

あげるほうも、もらうほうも、

楽しいのかな?

と思う。

 

男性側の

「お返しするの大変だから、用意しなくていいからね」to女子 とか

女性側の

「あー今年もそろそろか・・・どうする?(萎)」with女子同士

みたいな、お決まりのシーズントークからも、

なんだかあんまりいい行事になっていない

雰囲気を感じる。

 

 

「贈り物」なんだから、

義務化した途端、

本質は滅んでいるのだ。

 

 

私が複数種類のお菓子を作る理由

私は大抵、3種類作る。

好き嫌いがある人に、選択肢を与えたい、というところもあるけれど、

「選んでもらう」という、コミュニケーションが生まれるからである。

 

席に行って、

それぞれのお菓子の説明をして、

選んでもらって、

余裕があれば、最近どうよみたいな話をする。

 

いつもお世話になっている人へは、お礼の気持ちで渡すし、

久々に話す人は、これをきっかけにちょっとした話ができる。

 

そう、お菓子そのものは、言ってしまえばただのツールで、

大事なのは、コミュニケーションなのである。

 

手作り、ということもあってか、

食べたあと、数日後でも、声をかけてくれる人も多い。

「〇〇さん(←サリー)、美味しかったよ~」

「家で食べたら、半分家族にとられたよ。ごちそうさま!」

 

 

なんかね、すごく平和。

 

 

たくさん作ることの、デメリットもあります。

あまりにたくさん配っていると、

「もらった人が特別」というより、

「もらえなかった人が目立つ」という図式になっていく。

 

デスクの島に10人いて、8人だけに渡したいけど、

そうすると残り2人に対してなんとなく気まずいから、

10人みんなに配ろう、となると、

逆に、その2人よりお世話になっている

他の島にいる人の分を、作れなくなったりする。

(結婚式に呼ぶ人の法則といっしょ)

 

でも、手作りだから、作れる量はいくら頑張っても有限なんだ・・・(T_T)

 

あと、なんかもらうありがたみが減っていく。

気がする。笑

みんな貰ってるから、みたいな。特別感が醸成できない。

同時に愛を振りまきまくると、愛は伝わらないのだ。かなしい。

 

 

 

上記分量を作るのに、どのくらい時間がかかるか?

参考までに、メモしておきます。

<土曜>

夕方:作るものを決める(色味や工数を考慮)

    (例)今回のラインナップ

      ・クリームチーズ&チョコしっとりケーキ(色:ココア系)12~16個

      ・ドイツ風 りんご&ナッツのパウンドケーキ(色:白っぽい)16~18個

      ・どら焼き(ネタ用。一度で個数たくさん作れるのもGood)20個

 

   レシピを確認し、買い物表を作成。

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※あとからブログ掲載イメージ用に作ったので実際のレシピとは異なります

 

夜:買い物

   材料と、ラッピング用品を買う。

 

<日曜>

  9:30~11:00 クリームチーズチョコケーキ作成

11:00~13:00 りんごケーキ作成

13:00~   お昼ごはんたべる

14:00~14:40  クリームチーズチョコケーキ 切る&袋詰め

14:40~16:30 どら焼きの皮作成

16:30~17:10 りんごケーキ 切る&袋詰め

17:10~18:30 どら焼き あんこ挟む&袋詰め

 

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日曜は、ほぼ丸一日作業になりました。

 

その他プチポイントは、会社に持っていくタイミング。

まあまあの重量になるため、パソコン等重いものを同時に持っているとツライのと、

満員電車では、せっかくのお菓子がつぶれないように守る必要アリです。

 

 

ホワイトデーは要注意

全員ではもちろんないですが、すんごい量返ってきます。

渡す際、「ホワイトデーはいりません」と言うか、

「缶詰にしてください」とリクエストする必要有。

(賞味期限短いものが大量に集まると、ほんとさばききれない。)

 

 

****

 

以上、

作る苦労はあるけど、やる甲斐ありなのです。

だからやめられない。

ビジチョコ。

 

グラフィックファシリテーションを体験してみた。

会議における「板書」の存在

板書って、誰がやっていますか?

7年くらい社会人やってきましたが、たいていは

「下っ端」か、「気が利く人」がやっている印象。

 

私は、その会議への意欲が高いときは、

下っ端ぶったり、気が利く人ぶったりして

よくホワイトボードのペンを持つ。

でも、目的は、いいやつぶりたいわけではない。

その会議を、自分の思うままに仕切りたいだけである。

 

板書の力はすごい。

みんながそこに着目し、そこの表現に引っ張られる。

 

どの発言をピックアップして書くか。

何は書かないか。

何を大きく書くか、色をつけるか。

 

結論を操作する板書は、ある意味簡単だ。

極端に言えば、自分の発言をこっそり大きく書けばいい。

 

でも、会社やメンバーへの愛着が深いほど、

そうじゃなくて、

もっとみんなに納得感があって、

浸透率の高い合意形成に繋がって、

はたまた新しい何かが生まれて、

そんなフォローアップをする板書ができるようになりたいなぁと

ぼんやり、しかし常々、思ってきた。

 

 

グラフィックファシリテーション体験会に行ってみた。

グラフィックファシリテーションってご存知ですか?

略して「グラファシ」というらしい。

その名の通り、グラフィックで、ファシリテートするわけである。

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モノのイメージは、こんなかんじ。

 

私の板書活動のヒントになる気がして、その体験会に、行ってみた。

(絵は描けないのに。)

 

 

講師はこの方。

しごと総合研究所の代表取締役、山田夏子さん。

twitter.com

www.shigotosoken.jp

 

会場に入り、目があったその人に、

「ああ、敵を作らない人だ」と思った。

どんな人をも怖がらせない、初対面ですっと入ってくる感じ。

すてきな空気感です、山田夏子さん。

 

会の中で「ははーんなるほど・・・」と思ったポイントみっつ

1、深い合意形成のためには、3つの現実レベルを共有する必要があること。
2、グラファシは、「すべての声に光をあてる」行為。
3、紙面の量が、議論量のコントロールに繋がること。

 

 

1、深い合意形成のためには、3つの現実レベルを共有する必要があること。

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※きたないメモ書きでごめんなさい

 

人にとっての「現実レベル」には3つの段階がある。

一番上は、「合意的現実レベル」。事実とか、数字とか。

2段階目は「ドリーミングレベル」。言葉にできる、感情とか、価値観とか。

3段階目は「エッセンスレベル」。言葉にできない、雰囲気とか、イメージとか。

 

※上記はアーノルド・ミンデル博士が提唱したモデルとのこと。

アーノルド・ミンデル - Wikipedia

 

 

この3つを行ったり来たりして、すべてを共有することが、

より深い合意形成をするポイントらしい。

でも、例えば議事録は、一番上しか語られないので

(〇〇さんはこの発言を、ひどく残念そうに言った。とか議事録には書かない)、

深い理解には至らないのだそう。

 

なので、山田さんのグラファシは、

ドリーミング&エッセンスの要素を盛り込むことを重視している。

たとえば、このグラフィックは

f:id:sally-no-kimochi:20170214192035j:plain全体的に、どんよりムード。

自分たちが、後ろ向きな話題ばかりしていることとか、

みんなが不満を抱えていることを、グラフィックで自覚・共有できる。

テキスト情報って、その「雰囲気」を見える化することはできないから、

メールのやりとりとか、LINEのやりとりは、誤解が生まれやすかったりする。

 

 

2、グラファシは、「すべての声に光をあてる」行為。

グラファシをする際は、すべての発言を描くらしい。

そうすることで、「声の小さい人」「マイノリティの人」が

黙殺されることを防ぎ、全員での合意形成を目指す。

チームビルディングを本業とされる、山田さんらしいアプローチ。

 

これは、「びくーーーーっっ」って感じでした。

私は板書によって黙殺してきたので。。。

 

でも、テキスト情報は、暗に何かの存在をなくすことに繋がりやすいらしい。

たとえば、「会議に居た人は、ほとんど都内在住の人でした」と、

「会議には、都内在住の人と、遠方からも数名来てくれました」では、

同じ事実だけど、まったく違うイメージになる。

「絵」の方が、全体を公平に描くことに向いている表現方法だそう。

 

3、紙面の量が、議論量のコントロールに繋がること。

山田さんの流派は、「グラファシをする人は絵を描くことに徹し、なるべく口出しをしない」スタンスだそうなのだが、

色々な要素が、暗に上手にコントロールとして働くことがある。

 

面白いのが、紙の量。

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今回、参加者数名で、「会議について」をテーマに話をして、

山田さんが実演としてグラファシしてくださったのが、この画像。

4枚の模造紙が、左からどんどん埋まっていくのだけど、

「残りの紙がこのくらいしかない」って見えてくると、

おのずと、私たちは結論を出そうとする。

また、前半が暗い色(負の話)が続いてくると、

自然と、未来に向けた話や、よい面をフォーカスした話も増えてくる。

右に行くほど、明るい色が増えていく。

 

これは、誰かに「そろそろ結論を出しましょう、時間がないから」と言われるよりも、

ずっと、自然発生的な主体性をもって、場が動いてくる事象。

だれも嫌な気持ちにならないし、誰かに誘導されている感じもしない。

「絵」とか「紙」とか、人格のないツールが誘導することで、

すごく、場の雰囲気が柔和になる。

 

まとめ

他にも学びはたくさんありましたが、全部書くとネタバレになりすぎるので、

興味のある方は、ぜひググってみてくださいな。

 

とりあえず、すぐ使えそうなアイコンとか似顔絵を

描けるようになりたい。なる。うん(._.)

 

 

 

***

(後述)

おかげさまでこの記事を多くの方に読んで頂けて、

感じたことをこちらに書きました。よろしければ、ぜひ。

 

sally-no-kimochi.hateblo.jp

 

 

仕事の選び方と、恋の進め方はいっしょにしてもいいかもと思った話(後半)

 ※前半はこちら

sally-no-kimochi.hateblo.jp

 

アラサーの恋愛

はあちゅう氏のこの記事を読んだ。

wol.nikkeibp.co.jp

 

このてのテーマの記事は多いなぁ。

アラサーの恋愛観って、東京タラレバ娘然り、よく話題になる。

結婚バンザイ主義へのアンチテーゼであったり

自己実現と子育ての天秤だったり。

 

かくいうサリーも、完全にこの世代。

Facebookを開けば、

結婚式の写真・赤ちゃん(子ども)の写真・食べ物の写真

がズラッと並ぶ、そんな世代。

 

 

結婚願望?あるあるめっちゃある

「さっちゃん結婚願望あるの?」

「生まれた時からある!!今日結婚して明日子ども生みたい」

「笑」

 

うちは両親が円満夫婦なのもあり、結婚に対してポジなイメージが強い。

子どももほしい。

女として生まれたからには、「子どもを産み、育てる」という経験をしないと、

人間として、完成しない気がする。

 

違う考え方があるのも、もちろんわかる。

逃げ恥の中で、ゆりちゃんが、

誰もがすべてのことを深く知るのって無理だと思わない?誰かが知っていることを誰かは知らなくて、そうやって世界は回っているんじゃないかしら。

と言って、結婚しない・子どもを生まない女性がいることも

必要だと言ったシーンがあった。

 

なるほどなぁ、って思ったけど、でも共感はできなかった。

どうしても、私はできるだけ全ての経験をしたいと思ってしまう。

経験があればあるほど、人間レベルは上がると思ってしまうから。

ここで書いたように。

sally-no-kimochi.hateblo.jp

 

子どもを生むからには、早く結婚したほうがいいに決まっている。

これから先、年をとればとるほど、出産は色んな意味で辛くなっていくし

妊娠も難しくなっていってしまうかもしれない。

 

 

 

なのに結婚に繋がる恋愛ぜんぜんしてない。

サリーは不倫ばっかりになってしまう。

いまの彼氏も奥さんがいる。

「結婚したいんじゃないのかよ!」と自分でも思う。

 

不倫が好きなわけではもちろんない。

スリルとか求めてない。

はあちゅう氏が言うところの「カジュアル不倫」をしているわけでもないし

いつも相手に対してはかなり本気。

 

 

周りには、

「はやく別れて幸せになりなよ」とか言われる。

その「幸せ」って、たいてい結婚のことを指している。

 

なんだよ!自分の幸せは自分で決める!

って、ぷんって思うけど、

その自分が、早く結婚したい子どもほしいと言っているのだから、しょうもない。

幸せ=結婚 と定義しているのは、紛れも無く自分自身だ。

 

 

 

結婚願望あります。子どもがいる友達が羨ましいです。

ちょっとした焦りもあります。でも不倫してます。

なんかすごく多そう、こんなアラサー。

 

 

 

キャリアについてはアドリブ重視なのに、恋愛には描く緻密なシナリオ

気づけば、サリーはすごく矛盾している。

キャリアについては、

「人生何が起こるかわかんないんだから決めつけたってしょうがないじゃん(゚∀゚)」

なんてスカした顔で言っているのに、

 

恋愛については、

「子どもが欲しいんだから、30歳、せめて31歳では結婚したい・・・!(TOT)」

なんて追い込まれた顔で言っている。

 

自分の人生はひとつだけなのに、

テーマによって真反対の主義なんて、なんか変だ。

 

 

恋愛にも、キャリアと同じ考え方を持ってきて、

ゆるく構えていたほうがいい気がしてきた。

「何が起こるかわからない」は、仕事も恋愛も同条件だ。

 

ゆりちゃんも言ってた。

人生が予定通りにいくなのら、私は27歳で結婚していました。おこごとおばさんやセクハラおばさんになる運命など誰が想像したでしょうか。いいですか。思いもよらないことが起こるのが人生です。

 

このまま結婚が目的化したら、元も子もない。

子ども作るために結婚しても、不妊になるかもしれないし。

 

執着の強い予定を立てても、自分の首を締めるだけ、かも。

 

 

さて。

こんなこと言ってたら、さらに婚期は遅れるのだろうか・・・。(´・ω・`)

 

生まれつきの「愚痴っぽい人」ってなかなかいないよ。じゃぁどうして愚痴ってしまうの?っていう話。

ぐちぐちぐちぐち

 

愚痴を言ってるシーンって「ぐちぐちぐちぐち」という音が

すごく似合う。

そのシーンの音声をOFFにすれば、口の動きがどうあれ

「ぐちぐちぐちぐち」に聞こえてくる。

 

愚痴っぽさに含まれる粘着性が、音から感じられていい。

ぐちぐち

ねちゃねちゃ

って感じ。

 

 

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※すみません納豆は大好きです。

 

 

職場に、ぐちぐちしたチームの登場

 

さて、最近我が職場では

とあるチームの

「愚痴っぽさ」

が、話題である。

 

どんな愚痴か?といえば、

「○○○チームは何もわかってない」

「▲▲さんが進めているあれは進め方が悪い」

等、

要は、人や他チームへの不平不満である。

 

 

そのチームの周囲では、

「あそこはモチベーションが低下が著しい」、とか、

「結局自分で何も変えようとしないし、主体性が足りない」、とか、

「モチベーションの高いチーム相手に、ネガティブキャンペーンをされて

負の影響を与えられたら困る」、とか、

なんにゃなんにゃ言われている。

 

 

「愚痴っぽい人」って、なんだ。

そのチームの人達は、個人個人が「愚痴っぽい人」と捉えられるようになった。

でもその表現は、ちょっと雑だと思う。

 

愚痴っぽさで人を分類すると、こんなイメージ。

1,誰にも愚痴を言わない人

2,言いやすい人には言う人

3,誰かれ構わず言う人

 

 

1は、心の強い人ではあるが、周りからすると「大丈夫?たまには息抜きしてね」って気持ちになる。

3は、ある意味とても心の強い人である。鈍感力、とも言う。

 

大抵は、2に分類されると思う。

(かなりグラデーションはあるのは承知)

 

今回のうちの職場のぐちぐちチームの皆さんも、

凡そ「2」であることに注目したい。

 

 

例えば、ぐちぐちチームの中にAさんという人がいる。

Aさんと仲良しの、BさんとCさんという人がいたとする。

Aさんは、Bさんにはすごく愚痴を言うけど、Cさんにはほとんど言わない。

 

それは、Aさん云々というより、BさんとCさんの振る舞いが肝だ。

Bさんは言いやすい空気を作り、Cさんは言いづらい空気を作っている。

例えるなら

Bさんは、「そうね、あなたが可哀想」という態度を示し、

Cさんは、「そんなこと言っててもしょうがないじゃん、ださ」という態度を示す。

 

 

「愚痴っぽい人」は周りが作る

今回のぐちぐちチームの例えで言うなら、

チームのメンバー同士で、助長し合い、愚痴っぽい人を互いに育てていったし、

周りのチームも、そんなチームの存在を許容する態度をとっているということだ。

 

そのチームのモチベーション回復のために、今個人面談とか進めているみたいだけど、

策のひとつは、周りが、「何いってんのおまえら、ださ」って空気を出すことじゃないかと思う。

もちろん、彼らの不平不満を、前向きに改善していくことには、きちんと寄り添う上で。

 

だから、私は、できるだけ前向きで建設的な言葉を発信して、

「この人に愚痴ってもダサいって思われそうだから言わないでおこう」って

周囲が思うように、いたい。

そういう人が増えていけば、明るい職場になるとも思う。

 

 

「愚痴」ってことばは、便利であやふやだ。

「愚痴られる」ことを、喜ぶ人もいる。

なんだか、心を許してもらったような。

本音を話してもらっているような。

虚勢をはらず、かっこつけず、ありのままを見せてくれているような。

 

「たまには、愚痴りなよ」

「いつでも聞くよ!」

みたいに、寄り添う態度をとってみたり。

 

でもさ。

悲しみ、とか、寂しさ、を打ち明けることで

浄化する行為と混同しちゃいけないと思うである。

 

「人のせいにして、終わる」 

私の中で、これが、愚痴。

 

 

私は、愚痴は好きじゃない。

自分を守る言葉を吐き続けていると、

自分がその言葉に呑まれてしまうから。

最初はちょっとした息抜きで、「言ってみただけ」って思っていても、

だんだん、自分の中で、本当のことになっていく。

さらに、打ち明けた先の周囲が、

「そうだねかわいそうに」って一番簡単な姿勢をとろうもんなら。

言葉の力っていうのは、恐ろしい。

 

だから、先に言った、「私は愚痴を言われない空気を作る」という宣言も、

べつに、悲しい気持ちや寂しい気持ちを、聞きたくない、ということでは決してない。

 

さらには、

「正しく」振る舞おう、という、なんというか聖人ぶってるわけでもない。

「楽しく」過ごす、コツのはなし、の、つもり。 

詩人・文月悠光さんのこと。

昨年の12月中旬、はじめてTVの観覧に行った。

 

www4.nhk.or.jp

 

朝まで生テレビみたいな討論番組で、

1975年以降生まれのみの面々が、日本の未来について侃々諤々する。

 

11人いた論客の中、ひときわ異端だった女性が居た。

文月悠光さん という、詩人の方だ。

 

http://pds.exblog.jp/pds/1/201507/01/76/d0101676_15541604.jpg

1991年北海道生まれ、東京在住。
高校3年時に出した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で、
中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少受賞。
早稲田大学在学中に、第2詩集『屋根よりも深々と』を刊行。
2016年秋、初のエッセイ集『洗礼ダイアリー』、第3詩集『わたしたちの猫』を刊行する。
NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、書評の執筆など広く活動中。

http://fuzukiyumi.com/

 

 

現場は、とかく早口だった。

観覧者や視聴者に向けては、聞き取りづらく不親切だなと思いつつも、

次々と繰り広げられる論客の問いかけに対して、他の論客が瞬時に切り返すその

スピーディーな展開には、息を呑んだ。

自分の脳味噌がついていけるのか、自らへも勝負をかけられているような気がして

ワクワクした。

 

矢継ぎ早に難しい言葉が行き交う中で、

文月さんがあてられると、不自然な間が生まれた。

 

彼女は、他の論客のように、クイックレスポンスができない。

明らかに、まごついていて、

論客や観覧者は、彼女がことばを選ぶまで、不自然な静けさを享受した。

 

困った顔をしながら、ぽつぽつと話しだすと、

話しながら、また他の思いが生まれ、連なりながら話は止まらず、

まとまりきらないその話を、我々は忍耐強く聞いた。

 

明らかに、討論番組らしからぬ存在であった。

 

私にとって、彼女の話の中には、なるほど、というエッセンスは散りばめられてはいたものの、

はっきり言って、場違いな空気を感じていた。

 

 

真冬にも関わらず、半袖Tシャツで、次々と叡智を撒き散らす安部敏樹さんとか、

ダレてきたスタジオを、その明るさと聡明さで見事にリフレッシュさせた石山洸さんに

私は心を打たれていた。

 

さて。

後日、この記事を読んだ。

文月さんが、あの撮影を振り返り寄稿したものだ。

cakes.mu

 

・・・なんかね、猛烈に謝りたい気持ちになった。

 

じっくりと考える「時間」と、

表現手法としての「文章」というものを手に入れた彼女は、

途端に、別人になっていた。

 

考えてみれば、「詩人」なのだから、

その道のプロなのだから、当たり前なのだけれど。

 

とかく、現代は、「クイックレスポンス」が求められることが多い。

頭の回転が速いこと。効率的なこと。簡単であること。

 

でも、文月さんの在り方というのは、なんというか、

まゆを潜めて、細く脆い糸をぎゅっと掴んで、ジリジリと、ジリジリと

注意深く、でも力強く引っ張り、

奥の方からキラリと光る何かを導き出すような、

 

そして、その光るものを、大事に持ち上げて、多方面から見回し、

言葉を紡いで、紡ぎだした途端リズムに乗って、私たちに訴えかける。

 

 

 

思った。

人の脳みそレベルを、頭の回転・スピード感だけで判断してはいけない。

また、得意な表現手法も人それぞれ。

ひとつの手法によるアウトプットだけで判断してはいけない。

 

人の可能性って、色々なんだな、と

実物と、文章とで、こんなにもギャップがある人を初めて目の当たりにして

私の世界はまたひとつ拡がりを見せましたとさ。

 

仕事の選び方と、恋の進め方はいっしょにしてもいいかもと思った話(前半)

「あなたのキャリアプランは?」「ありません。」

キャリアプランなんて、ない。

仕事なんて、計画を描くものではなく、

流れに身を任せていればいいものだと思っている。

 

流れに身を任せた結果、私のキャリアはいい意味でぐちゃぐちゃだ。

 

 

 

苦労した就活、第一志望じゃない就職。

私はリーマン・ショックの年に、就活をした。

前の年までは、売り手市場と呼ばれ、

先輩たちは、数社の内定をもらい、ゴールデンウィークまでには就活を終えていた。

 

だが、突然やってきた、未曾有の荒波。

この世界的大ニュースが、我々庶民の就職活動に

どの程度影響するのかは誰にもわからず、

はっきりと、「やばい」というイメージもないまま、

「おかしいな?内定出ないな?こんなもんなんだっけ??」

という感じだった。

 

リーマンだけのせいにはもちろんしないけれど、

そんなこんなで、6月頃まで1社も内定が出ず、

疲弊していた頃に、いきなりスルっと内定が出た。

私に内定をくれたその唯一の1社に、就職をすることになった。

第一志望とか、もはやそんな概念すら自分の中にはなかった。

選んでくれるところに、入るだけだった。

 

その会社では、大手企業の人事に営業・コンサルをする仕事をした。

とにかく一生懸命仕事をしたら、大きな案件を任されるようになって、

それも一生懸命取り組んでいたら、営業トップになった。

 

 

クリエイティブとの出会い

その大きな案件の中で、私はWEBディレクションをすることになった。

HTML?なにそれオイシイノ????

レベルの私が、年に億単位の収入がある案件でサイト制作をしたのだ。

 

これが、ひとつの転機になった。

すごく面白かった。

デザイナーが役立たずで、仕方ないから自分で図をデザインしたり、

ひたすらに膨大な情報整理を繰り返し、導線整理をしたり。

 

クリエイティブって興味はあるけど、自分は仕事にできないと思っていた。

なんだか特別な人達しかできない仕事だと思っていた。

でも、色々な人達にセンスがあると言ってもらって、

もっと勉強したくなった。

 

 

 

留学からのフリーランスノマドMac。なにそれオシャレ。

会社を辞めて留学した。(当時28歳)

セブで3ヶ月間、デザインとコーディング、英語を勉強した。

 

3ヶ月間の後ろ半分は、勉強だけも飽きてきて、

仕事を探して仕事をし始めた。

そうして、フリーランスのWEBディレクター、デザイナーとして、

何件か、お仕事をさせてもらった。

 

自分が、フリーランスで働くことになるなんて

いつ誰が思っただろう。

今までは、客先は「大企業の人事」なんつー、

旧態依然・保守の極み!

みたいな方々が多くいる世界で生きてきて。

 

それがいまや、

Wi-Fiのあるカフェで、Mac開いてノマドするのだ。

 

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なんだそれ。おしゃれだぞ。

 

実際は、目と肩の疲れで、顔が土色なのだけれど。

 

 

からのギョーカイ人。怖いよチャラそうだよなんだよ。

このまま、仕事がなくなるまでは

しばらくやっていくのかなー

なんて、ぼんやりしていたら、

近所の飲み屋の店長が、facebookで、求人情報を出していた。

彼の前職の先輩が、いま音楽業界に勤めていて、そこで人を欲しているという。

採用条件を読んでいたら、なんだか自分にぴったりだった。

音楽業界って何するのかさっぱりわからないけど、話だけ聞いてみようと思った。

 

その後、あれよあれよと話が進み、

入社が決まった。

 

「さっちゃん、ギョーカイ人になったの!!」

と色々な人にからかわれ(?)た。

どうやらそのようですが自分でもよくわかりません、と。

 

入ってみた職場は、いい意味でまじめで普通のいい人ばっかりだった。

信頼できる上司と、あったかい人たちに囲まれ、

「私こんなに音楽好きだったんだ!」と、日々幸せな発見のもとで

楽しく過ごしている。

 

 

結局、キャリアプランって。

縦のレイヤーでのキャリアプラン(昇進したい、何歳までにいくら稼ぎたい)は

自分にはない。

家族を養っている人や、男性陣は、大抵あるのかもしれないな。

 

横のレイヤーでのキャリアプラン(業種業態)は、

私は自分の人生で身を持って、そんなものたてても仕方がないと思った。

人事業界も、WEB業界も、音楽業界も、

すべて、その場その場を頑張ってやっていたら、何かの縁があって、

その流れに身を任せているだけである。

 

自分の知っている世界なんて、ほんの豆粒みたいな範囲でしかない。

世界には、私の知らないエリアがまだまだ残されているのに、

知っている範囲だけに固執するのは、なんだか勿体無いし、無駄な気がする。

 

縦のレイヤーに固執しすぎると、横にも制限が生まれてくる。

もちろん、守るべきものがある人たちは、

そんなに自由にいかないだろうともわかっている。

 

でもね、言いたいのは、

決めきり過ぎても、もったいないんじゃないかなと。

 

人生、いつ何が起こるかわからない。

突然妊娠したり、障害を持ったり、究極死んだり。

引っ越さざるを得なくなったり、お金が全部なくなったり。

アンコントロールなことで、いっぱいなのだ。

 

決めきり過ぎていると、思うままにいかなくなった時の、

心の整理にもエネルギーがかかる。

 

こんなはずじゃなかったのに!・・・いやいや、そもそも

「こんなはず」なんて、誰が約束したの。神様?仏様??

 

何にも固執しすぎず、適度にゆらめきを持って過ごしていると、

思わぬ方向に流れていって、それがまたすごく面白かったりして。

 

 

***

さて、ここまでは仕事について書きましたが、

次回の後半では、上記に絡めて恋愛について書こうと思います。

アラサーの恋愛って、東京タラレバ娘。然り、とかく社会でフォーカスされがち。

私がアラサーだから、アンテナ立っているだけかな??

そうでもない気もするなー。むむむ。

 

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